白山神社

生駒郡平群町福貴1551(平成23年1月6日)

東経135度41分40.63秒、北緯34度37分40.33秒に鎮座。

 この神社は平群中学校の西約300mに鎮座しています。一の鳥居と社号標は境内から200m程手前に建立され、参道はいったん左に曲がってから神社へと行き着きます。
 神社入り口脇には双体道祖神と思しき二体の仏像のレリーフが彫られた石像が祀られ、二の鳥居を潜り石段を上がると正面に弥勒堂が建立されています。其の右側に並んで割拝殿が建ち、その奥に浪速狛犬に護られた本殿が覆い屋内に建立されています。
 神社から外を振り返ると、宮池が穏やかな水面を見せています。

 御祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊
 祭礼日:10月15日
 境内社:若宮社
 由緒:伊弉諾尊・伊弉諾冉尊を祀っていた福貴寺の神宮寺。明治初めに神仏分離で独立、森垣内の小森神社と栗坪垣内の三十八社神(子守神社)を合祀して福貴大字全体の氏神となる。
 明治25年(1892)の明細帳には「或云白山大神」とみえる。享保14年(1729)奉納の慈尊山白山大明神の湯釜が伝わる。
 白山神社周辺が福貴寺の跡で、慈尊山福貴寺と号し、法隆寺の高僧「道詮律師」の隠居寺として栄え、盛時には六〇坊を数え、境内奥に、中ノ坊・西ノ坊等の塔頭跡が残る。
 弘法大師とも親交があつく、伝燈大師と号して南都七大寺僧綱を兼ね、荒廃した法隆寺夢殿の再建を果たした。その功績から律師像(塑像:国宝)が夢殿の本尊脇に侍している。
 隠居後も、法隆寺の学僧等の請いを受けて毎年夏期に百ヶ日間三経を講じに往来し、民衆からは「福貴の道詮」と呼ばれて厚く慕われた。境内奥に近世の供養墓が祀られている。

境内から200m手前の参道入口に立つ一の鳥居と社号標「福貴白山神社」
参道の様子
社頭
神社入口に建つ二の鳥居
入口脇に置かれている双体道祖神?
境内入口
参道の様子
境内の様子
割拝殿
拝殿と本殿の間にいる明治2年生まれの浪速狛犬
吽には角があり、にこやかな表情の癒し系狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治2年(1869)己巳6月建立)
本殿への石段参道と覆い屋
本殿
本殿目貫彫刻・龍
本殿木鼻・狛犬
目貫彫刻共々象眼されていたようです。
境内左側に建つ弥勒堂
穏やかな水面を見せる宮池