葛城一言主神社

御所市森脇432(平成23年1月7日)

東経135度42分54.77秒、北緯34度26分32.61秒に鎮座。

 この神社は葛城山の東南麓に鎮座しています。30号線から西に200m程入って行くのですが、数十年前とは打って変わり、観光バスまで来るほどの神社に変貌していたのにはビックリ!!
 一の鳥居は神社手前100m位に立っており、右手にはお土産屋さん、左手は田園風景ののんびりした風景の中をてくてくと歩いていきます。社号標が立ち、小さな神橋が架けられた神社の入口から参道を行くと右手に祓戸社が祀られ、境内へと続く石段の参道を数十段上がると、正面には稲荷社等の境内社が数社祀られ、その左に唐破風付き入母屋造りの大きな拝殿、板塀内に流造りの本殿が建立されています。
 境内には謡曲「土蜘蛛」で名高い蜘蛛塚や樹齢1200年の御神木・イチョウの古木(乳銀杏)、万葉歌碑などが見られ、玉垣から見下ろすと東に神宮池が見えます。
 昔は我が家の家族の他には参拝客も見あたらない様な静かな神社でしたが、このご時世です「一言だけの願いを叶える神」として、「現代版御利益多大な超人気の神様」になられたのでしょうか?

 御祭神:一言主大神、幼武尊
 祭礼日:9月15日
 境内社:市杵島社、天満社、住吉社、八幡社・神功皇后社、一言稲荷神社、祓戸社二社
 由緒:大和葛城山の東南麓にあり、東向きに鎮座する。
 祭神は一言主大神であり、大泊瀬幼武尊(雄略天皇)を合祀している。これは『古事記』や『日本書紀』にあるように雄略天皇が顕現した一言主神と邂逅したためである。また、託宣神としての神格の類似性から一言主神と事代主命を同一視するような記述も表れた。さらには近隣に出自を持つ賀茂氏に信仰された味耜高彦根命もその分身として混同されるようになった。祭神の一言主神は「悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離(はな)つ神」であるという託宣の神ということから、願い事を一言のみ叶えてくれると信仰を集めて「いちごん(じ)さん」と呼ばれ親しまれている。
 神社鎮座地は前述の話における一言主神が顕現した地とされている。また、裏山である神山こそが顕現の地「カミタチ」であると伝わる。神社一帯は葛城氏の本拠地で、綏靖天皇の皇居(高丘宮)があったという伝承が残る。
 延喜式神名帳には葛木坐一言主神社と記載され、名神大社に列せられている。嘉祥3年(850年)に正三位、貞観元年(859年)に従二位と神階が進められていった。
 神宮寺として一言寺が存在したが、明治の神仏分離で廃された。
 御神木は樹齢1200年というイチョウの古木(乳銀杏)で、本殿の南側にある。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

神社手前100mに立つ一の台輪鳥居
鳥居に掛かる額 百度石
参道の様子
社頭
社号標 神橋と参道
参道途中に祀られる境内社:祓戸社
境内へと上がる石段の参道
境内入口
境内の様子
唐破風付き入母屋造りの大きな拝殿
拝殿にかかる額「式内大社葛城一言主神社」
流造りの本殿
境内左に祀られる境内社:祓戸社
境内右に纏めて祀られる境内社入口
境内社:一言稲荷神社
境内社:市杵島社
境内社:天満社
境内社:住吉社
境内社:八幡社・神功皇后社


蜘蛛塚
万葉歌碑

樹齢1200年の御神木・イチョウの古木(乳銀杏)
神社と神宮池の間にある「亀石」
神社境内から見る神宮池