小浜神社

雲仙市小浜町北本町862(平成24年8月19日)

東経130度12分36.17秒、北緯32度43分33.24秒に鎮座。

 この神社は島鉄バス小浜ターミナル東に鎮座しています。剣柄神社との合祀により現在地に遷宮したようで、旧小濱神社はここより200m程南の小丘上に鎮座していた様です。小浜町北本町のメインストリートに面して入口があり、入口には社号標と、小浜小学校の卒業生が製作した「ビックリ小浜神社」の看板が立っています。境内入口の鳥居を潜ると、正面は90度左方向にあります。境内左すぐに手水舎、土俵、右手の池の上にステージが造られており、義人玉垣額之助関頌徳碑も見られます。正面の拝殿内には小浜の人々を土石流から救ったとされる伝説が残る天井絵の龍が見られ、拝殿前にいる狛犬二対も必見の独創的な容姿をしています。

 御祭神:大己貴命外2柱
 祭礼日:9月19日
 由緒:旧村社。
(「長崎県神社庁公式サイト」より)

 温泉の神を御祭神とする小濱神社と、武道(相撲)の神を御祭神とする剣柄神社が合祀されて、現在の小浜神社となりました。平成8年に社殿が建立されました。延宝7年(1679)に一晩で描かれたといわれている拝殿天井絵の龍には、雲仙普賢岳が噴火し土石流がこの地に流れてきた時、天井から抜け出し小浜を護ったと言う伝説が残っているようです。
(境内案内板「ビックリ小浜神社」より抜粋)

 小浜には、小浜神社と劔柄神社があり(その他にもありますが)、小浜神社は島原領主松平忠房公の命により小浜大明神として建立し、のち小浜神社として祀ってきたそうです。劔柄神社も同じ頃の建立だそうです。その後、多分近年でしょうが、新しく社殿を立て、小浜神社として合祀をして、現在の小浜神社になっています。
 さて、下の方が現在の、小浜神社の本来の天井絵です。旧の小浜神社から移設したものでしょう。かなり色あせていますが、ガイドブックの史跡巡りには「大蛇」と書いてあります。「龍」のような感じ?作者不明ですが、金箔を使って、一夜で描いたそうです。これだけ大きなもの、かなりの実力を持った絵師のものだと思われます。実に生き生きとしています。さて、この大蛇、口伝によると、寛政四年の島原地震の折、天に舞い上がり、大津波が来るのを告げ、普賢岳から流れる溶岩を身をもって防いだそうです。
(サイト「千々石(ちぢわ)deその日暮らし〜長崎県雲仙市千々石町」より)

社頭
神社入口
境内入口に立つ明神鳥居
鳥居に掛かる額 社号標
境内の様子
手水舎
土俵
境内に纏めて置かれている、昔、鳥居に掲げられていた額
「剱柄宮」「剱柄神社」「剱柄宮」
祭礼時に使われる池の上のステージ
拝殿前、石段の下にいる狛犬
縦置きで縦長の座位。瞳の浮き出たアーモンドアイにどっしりと座った鼻、顔の横まで避けた口蓋、垂れた耳を体に這わせ、ゼンマイのような鬣と尾を持っています。その大きな口の端からは、後ろ向きに長い牙が見えます。垂直に立つ前肢と水平に伸びる後肢に、脇毛・臑毛と長い爪が彫られています。とても奇異な表情の、独創的で古そうな狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿前、石段の上にいる狛犬
石段下の狛犬と兄弟と言っても良い程良く似た狛犬です。但し此方の方が軒下にいるにも拘わらず、顔の表情等が読み取りづらくなっています。又、前肢を一本骨折したことがありそうです。長崎では初めて見るタイプです。
狛犬の拡大写真はこちらで
唐破風付き入母屋造りの大きな拝殿
拝殿内の様子
拝殿内、龍の天井絵
流造の本殿

石祠の末社
牛馬の神様と云うことですから、もしかしたら徳満神社?
義人玉垣額之助関頌徳碑

ご神木・イチョウ