和多都美(わたづみ)神社

対馬市豊玉町仁位55 (令和5年3月26日)

東経129度18分51.20秒、北緯34度22分33.38秒に鎮座。

この神社は、対馬島の中程浅茅湾の奥、神話の里自然公園の北側に鎮座しております。

御祭神 彦火々出見尊・豊玉姫命

由緒
当社の所在地表示は、現在「下県郡」であるが、以前は「上県郡」であった。平安時代の律令細則である『延喜式』の「神名帳」の中に「対馬国上県郡和多都美神社(名神大)」とあるのは当社である。貞観元年(859)に清和天皇から従五位上の神階を賜り、また、『三代実録』によれば、永徳元年(1381)に、更に従一位を叙せられ、往古より島内は言うに及ばずわが国の名社大社の一つに数えられた。
縁起を辿れば、神代の昔、海神である豊玉彦尊が当地に宮殿を造り、宮を「海宮」と名付け、この地を「夫姫」と名付けた。その宮殿の大きさは、高さ一町五反余り、広さ八町四方もあったという。そして神々しい神奈備「夫姫山」のさざ波よせるこの霊地に彦火々出見尊と豊玉姫命の御夫婦の神を奉斎したと伝えている。
豊玉彦尊には一男二女の神があり、男神は穂高見尊、二女神は豊玉姫命・玉依姫命という。ある時、彦火々出見尊は失った釣り針を探して上国より下向し、この宮に滞在すること三年、そして豊玉姫を娶り妻とした。この海幸彦・山幸彦の伝説は当地から生まれたものである。
満潮の時は、社殿の近くまで海水が満ち、その様は龍宮を連想させ、海神にまつわる玉の井伝説の御遺跡や満珠瀬、干珠瀬、磯良恵比須の磐座など旧跡も多く、また本殿の後方に二つの岩がある。これを夫婦岩と称し、この手前の檀が、豊玉姫の墳墓(御陵)である。
また、西手の山下に、石があり、それが豊玉彦尊の墳墓(御陵)である。このように当社は古い歴史と由緒を持ち、時の国主や藩主の崇敬も篤く、たびたびの奉幣や奉献それに広大な社領の寄進があった。現在でも対馬島民の参拝は勿論のこと全国各地からの参拝が多い。
境内由緒書き より。

海上に浮かぶ一と二の鳥居

三の鳥居

海上からの景観

境内入口

境内

五の鳥居

鳥居前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治20年(1887)丁亥4月吉日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


豊玉姫命之御陵墓参道

鳥居

これより先の写真は無いので悪しからず。


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