熊野神社

大村市久原2-1032-1(平成24年8月17日)

東経129度58分26.35秒、北緯32度53分37.87秒に鎮座。

 この神社は長崎医療センター西に鎮座しています。鳥居が立つ入口から50m程の参道は、道路に沿って付けられ、境内に入ると左側に上久原公民館、右に石仏が配され、正面に拝殿、奥に自然石のご神体が安置されている石祠の本殿が建立されています。

 御祭神:速玉之男命、健速須佐之男命、事解之男命
 祭礼日:10月17日
 由緒:キリスト教を禁止されていた江戸時代、大村藩では明暦3年(1657)の郡崩という潜伏キリシタン発覚事件後、各郷に堂社を持たなければならなくなった。いたがって上久原でも、万治元年(1658)郷民が相談して、向木場から三社権現(祭神は本地仏の弥陀、釈迦、観音)を現在地に遷座し鎮守として祭った。
 明治維新になり新政府の神仏判然令が下り、神仏を分離し、権現などの仏号を改めるようになった。明治3年(1870)9月大村藩では神社改正規則が出され、三社権現は仏が祭神であったので廃社となった。
 新たに速玉之男命、健速須佐之男命、事解之男命を祭神として熊野神社として発足し、明治9年7月に村社春日神社の支属となった。
 太平洋戦争が終ると神社の制度が改められたが、昔ながら上久原の氏神として、明治当所定められた10月17日の例祭日を中心として町民尊崇の的となっている。
 社殿は明治5、6年ごろ、廃城となった玖島城本丸の護摩堂の払下げを受け、解体資材を使用して建て替えられたといわれ、さらに同25年2月に改築された。
 境内の広さは参道を含めて約1750平方米で、江戸時代に比べて半減しており、昔の美しい松林は全く見られない。
 江戸時代の拝殿は二間に三間の瓦葺であったが、現在のものは三間に四間の十二坪あり、差掛けた下屋の部分(ポンプ倉庫等を含む)を合わせると六十平方米、祝詞殿が五.五平方米で総建坪は六五.五平方米ある。ご神体は自然石で石祠に安置してある。入口には額束のみ改造した昔ながらの石鳥居があり、社前には文化6年(1809)の石灯篭一対、寛延2年(1749)の石の手水鉢、左端には明和元年(1764)の馬頭観音石座像大正12年(1922)の大日如来などが見られる。

参道入口
参道入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
境内入口
境内の様子
明治初期、旧玖島城本丸の護摩堂を移築して建立された拝殿
拝殿内の様子
自然石のご神体が安置されている石祠の本殿
境内左側に建つ上久原公民館
馬頭観音石座像や大日如来など