八幡神社

大村市東本町318(平成24年8月17日)

東経129度57分53.34秒、北緯32度54分15.71秒に鎮座。

 この神社は大村駅の南約400m、大村線線路脇に鎮座しています。
 入口は道路二股角にあり、石段を上がった境内入口に一の鳥居が建立されています。広々とした草原の下の境内には境内社が祀られ、二の鳥居後ろの石垣上の境内に拝殿、弊殿、本殿が建立されています。ここも境内左側に境内社が祭られ、右側には楠の大樹が聳えています。私達が参拝中にJR大村線の青い列車が境内後ろを颯爽と通り過ぎていったので、思わずシャッターを切ってしまいました。

 御祭神:品陀和気命(応神天皇)、長足姫命(神功皇后)、足仲彦命(仲哀天皇)
 祭礼日:元旦祭・1月1日、夏越祭・7月29日、秋祭・10月15日
 境内社:武霊神社、猿田比古神社、稲荷神社、生目八幡大神
 由緒:八幡神社は、武道の神として崇拝されているが、その創建年代についての詳細は不明である。もともとは松原に在して祭祀されていたが、今から463年前の天正2年(1574)に兵火にかかり焼失している。
 慶長6年(1601)に至り、大村家十九代(初代藩主)大村喜前公によって八幡神社の再建が計画されるも実現せず。喜前公の孫である第三代藩主純信公がその志を受け継いで375年前の寛永12年(1635)9月25日に現在地に創建に至った。
 創建後80年が経過した正徳5年(1711)になり第六代藩主純庸公が社殿の改修を行い、瑞籬石垣を造築し、さらに享保19年(1734)に石壁、木柵、土塀が造築されて、現在の形が整い、以後280年余の歳月が経過している。
 藩政時代の八幡神社は、大村藩の特別崇敬の社として藩の費用で護持され、明治7年5月には村社、同9年7月には大村郷社となり、昭和28年2月以降は宗教法人「八幡神社」として祭祀されている。
 この間、地域氏子の敬神の念による援助と代々宮司並びに総代の努力により、祭祀怠りなく、また神社の護持、境内の整備、清掃に努め、現在に至っている。


神社入口
境内入口に立つ一の明神鳥居
下の境内の様子
境内奥に立つ二の台輪鳥居 鳥居に架かる額
上の境内へと続く石段参道
上の境内の様子
入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
弊殿と流造の本殿側面と本殿正面

境内社:生目八幡大神
境内社:猿田比古神社
境内社:武霊神社
境内社:稲荷神社
ご神木・大楠
境内脇を颯爽と通り過ぎるJR大村線の列車