熊野神社

大村市池田2-1124 (令和4年1月6日)

東経129度58分21.54秒、北緯32度55分59.49秒に鎮座。

この神社は、長崎自動車道・大村ICの北400m程の辺り、池田の街外れ高台に鎮座しております。

御祭神 建速須佐之男命

由緒
ここは、大村藩4代藩主・大村純長が万治3年(1660)に創建した、多羅山千手院宝円寺があったところです。
もともと、大村家を守護する祖先崇拝の場所としては、多良岳に大村氏が篤く信仰した多良山大権現と金泉寺がありましたが、天正2年(1574)にキリシタンの焼打ちによって荒廃していました。
明暦3年(1657)多数の潜伏キリシタンが逮捕、処刑された「郡崩れ」が発生したことで、大村藩は徹底したキリシタン対策の実施が必要になりました。そこで純長は、尊覚法印を開山として、この池田山に多羅山大権現とその神宮寺である宝円寺を建て、ここを大村藩の祈願所としました。そのため寺格は高く、藩内の真言宗寺院の総本山でもありました。また、檀家が少ないため、寺の維持費などは、藩内格村から一軒につき三文ずつの出目銭(租税)によってまかなうなど、藩から特別な保護を受けました。
明治時代になり、政府の神仏分離令によって、明治3年(1870)に多羅山大権現が熊野神社に改められ、宝円寺はその翌年に廃寺となりました。その後、寺の本堂は、当時火災により本堂を失っていた福重の妙宣寺に買い取られ、移築されました。
現在は、往時の302段にもなる石段や、石段横の数箇所の堂の跡と石垣が、当時の面影を伝えています。また、旧境内の一角には多くの石仏類が集められています。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

参道

寶圓寺。地図には高野山金剛講寶圓寺支部とあります。

参道

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(多羅山10世庵澄 文政9年(1826)丙戌3月吉日建立)

二の鳥居

鞘堂

本殿