天満神社

長崎市平山町447(平成24年8月18日)

東経129度50分08.41秒、北緯32度39分36.14秒に鎮座。

 この神社は499号線・平山台団地入口バス停から西に約100mの所に鎮座しています。周囲は新興住宅地となっていますが、この一帯だけは未だ緑の森が残されています。
 入口は道路が二股に分かれる分岐点にあり、鳥居の後ろは石段。社地の周囲には石垣が組まれています。境内入口には未だ新しい灯篭が建立され、左手には手水舎。正面に綺麗な天井絵が描かれている入母屋造りの拝殿、奥に本殿が建立されています。社殿右には社務所兼参集館のような建物が建っています。

 御祭神:管原道真公
 祭礼日:11月3日
 由緒:創建は寛永3年(1626)で平山の氏神として親しまれています。天満神社の祭神は菅原道真公で、江戸期は天満宮と称し明治維新を受け天満神社になったものと考えられます。平山は江戸時代、佐賀藩深堀領に属し、穀倉地帯でもある平山は大変重要地で、天満宮大祭の折には毎年、五穀豊穣を祈願して深堀家より金品の奉納がなされていました。
(サイト「広助の『丸山歴史散歩』」より)

 市指定無形民俗文化財・ 平山の大名行列
 由来:慶応2年(1866)本町の下級武士、山崎武右衛門外数人が、深堀城下に出入りしていた際、大名行列に関する巻物を入手し、又、家紋入りの行列用具を下付された。そこで以前から伝えられていた五穀豊穣祈願のための田祈祷雨乞い等の浮立のはやしを振付けて、地元の氏神様の天満宮に奉納したのが始まりとされている。
 芸能の構成:「御先」から「御見越」まで26の役割がつぶさに伝えられており、城入り的隠しの形態を取った一糸乱れぬ歩き方など、江戸時代の参勤交代の模様を伝える豪華な大名行列で、行列方と浮立方に分かれ、道行きの後、庭浮立が演じられる。囃子方は、笛太鼓・鉦・モラシで構成し、入りは・にわ・まくり・追まわし・出はの順に演じる。
(「長崎市役所公式サイト」より)

神社入口
入口に立つ明神鳥居 鳥居に掛かる額
石段参道
境内入口
境内の様子
手水舎
素朴で可愛い撫で牛さん
入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
拝殿天井絵
本殿