住吉神社

長崎市川原町306(平成24年8月18日)

東経129度50分08.78秒、北緯32度37分51.48秒に鎮座。

 この神社は34号線からJAを目指して山側に向かうと、約130m程で二股角に鎮座しています。入口と社殿左手に大きなクスノキが聳える気持ちの良い神社で、入口に立つ明神鳥居を潜ると、数段の石段。その両脇には古風で可愛い狛犬がいます。明るく横に広がる境内中央奥に狛犬に守られて、拝殿・本殿鞘堂が建ち、本殿前の階段上には延宝9年生まれの素敵な狛犬がいます。又、境内向かって右には境内社の八坂神社が祀られ、市指定天然記念物の大クスは樹形、樹勢ともにとても良い状態で保護されています。

 御祭神:表筒男命、中筒男命、底筒男命
 祭礼日:1月1日・新年初祈祷祭、5月3日・厄入祭、7月31日・夏越祭、9月1日・風鎮祭、9月 日(土)〜 日(日)・秋祭り(川原富日)旧祭礼日・9月28日〜29日
 境内社:八坂神社
 由緒:当社の始まりは、六六代一条天皇の時代。正暦5甲午年(994)、川原大蔵大夫高満の勧請により、川原大明神と称して創建されました。しかし四百数十年の歳月で社殿等の老朽化著しくなり、康正2丙子年(1456)8月16日、大家源左衛門大江宗種が再建、今村和泉豊宗を祠官(神官)とし社務をゆだねた。ところが安土・桃山から江戸初期ごろはキリスト教が盛んで、住民のほとんどがその信者となって、神祇(祭礼)をおろそかにし、衰退の一途をたどった。しかし元和・寛永ごろ(1615〜43)キリシタン禁制により、時の領主寺沢広高は、当社の復興を認め、今村左近豊次を祠官とした。その時、住吉大明神と改められてより先、永禄元戊午年(1558)、左近豊次は京に上り、神祇官卜部家に唯一神道の極意を受けている。その後、正徳2壬辰年(1712)9月、今村左近豊正もこの社を再び盛り立てたので、同年草創という棟札の記録が残され、それからも今村家が代々相伝している。
 文政6年(1823)第九代今村大学守豊高の代に社殿を改築。この時の庄屋が今村弥五衛門重高(九代)、年寄が森又左衛門(森家十一代)川原弥兵衛(大江家十六代)、並びに高平嘉右衛門で、大工の棟梁は川原の佐藤佐十で在った。
 その後、数次にわたり改修が行われ、現在の社殿は、昭和初期のものである。明治に至り社名を住吉神社に改称。


社頭
入口に立つ明神鳥居 鳥居に掛かる額
境内入口
境内入口脇にいる狛犬
建立年代は不明で、かなり古そうな可愛い姿をしています。まん丸奥目に団子鼻、顔中に殆ど線書きに近く鬣や髭が彫られ、両脇に小さく耳が張り出しています。短足の前肢を真っ直ぐに踏ん張り、寸胴の体に後ろ肢が水平に付けられています。尾はお尻の中頃からニョキッと一本突き出しています。吽はノホホ〜ン、阿は威嚇しているのですが、それがかえって微笑ましく感じられる表情をしています。とっても好きなタイプで〜す。
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境内の様子
拝殿前、大顔の無骨そうな狛犬。
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(昭和30年(1955)8月建立)
入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
本殿 鞘堂と正面
本殿前の階段上にいる延宝9年生まれの狛犬
縦置きで、建立年代が前肢に彫ってあります。長崎県は未だ殆ど回っていないのですが、石像狛犬としては十傑に入る位の、お年寄りなのではないでしょうか?この年代の狛犬としては非常に整った顔立ちで、狐の様な髭を蓄え、短い鬣。垂直に立つ長い前肢と水平に伸びる後肢が合体しています。保存状態がとても良好で、何時までも長生きをしてくれると良いですね。
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(延宝9年(1681)辛酉2月吉日建立)

境内社:八坂神社
川原高光大神石祠

ご神木・市指定天然記念物のクスノキ
樹齢・約500年、目通り幹囲・5.75m、樹高・約26.0m

拝殿前から入口を振り返る