濱之大王神社

長崎市田中町910(平成24年8月17日)

東経129度57分04.47秒、北緯32度45分55.10秒に鎮座。

 この神社は34号線沿いに鎮座しています。低い石垣の上に社地が造られ、入口の鳥居を潜ると奥行きが狭く横に広い下の境内。正面の石垣の中央付近に石段が造られ、木々の生い茂る斜面の裾に社殿が建立されています。社殿内には格子の向こうに木製の小祠が祀られ、三体の観音菩薩が安置されています。又境内には恵比須像が安置されています。

 御祭神:素戔鳴尊、大己貴命、少彦名命
 祭礼日:不明
 由緒:濱之大王神社は、矢上神社の分社であり、もとは濱之大王権現と称していました。矢上神社は江戸時代には大王社または大王権現と呼ばれていましたが、1872年(明治5年)に現在の社号に改称しました。
 創建当所、この付近は海であったといわれていますが、1760(明和)年代頃に埋め立てられたようです。長崎街道として利用されていたこの道は、明治11年(1878)に明治新道として拡幅されました。
 この神社では、明治14年(1881)頃から数年の間、神輿の御遷渡が行われていたという記録があります。現在、地元の東望自治会の人々によって大切に祀られています。

 濱之大王神社(濱之大王社)は矢上神社の分社で神社の鎮座する田の浦地区の氏神さまです。また、矢上神社はもともと大王社と称していて、その海岸部の分社として濱之大王社と称したものと考えられます。両社とも明治維新を受け神号に改められ、濱之大王社から?之大王神社と変わります。祭神は素戔鳴尊(スサノオノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)ですが、三体の観音菩薩が安置されています。明治14年(1881)頃までは矢上神社からの神輿の渡御が行われていたり、奉納相撲が行われていたりしていましたが現在は衰退しています。
『広助の丸山歴史散歩』より)

社頭
入口二立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
境内の様子
石段参道
社殿
社殿内の様子

恵比須像 祈念碑
ご神木