深堀神社

長崎市深堀町5-181(平成24年8月18日)

東経129度49分33.45秒、北緯32度40分52.81秒に鎮座。

 この神社は深堀小学校東の小丘上に鎮座しています。入口に、市指定有形文化財の旧幸天宮石神門が一の鳥居として建立されており、石段を上がって行くと途中に二の鳥居。境内入口には、燈明台のような立派な灯篭が建立されており、入口から少し先で参道は左側に90度折れ曲がり、狛犬が護る入母屋造りの拝殿や神明造りの本殿は、向かって左側に建立されています。又、社殿左右に境内社が沢山祀られています。
 大きな森の中に鎮座する、静かで落ち着いた神社です。

 御祭神:猿田彦命、天鈿女命
 祭礼日:10月17日
 境内社:稲荷神社、天満宮、三浦神社、土神、大神宮、粟嶋大明神、正一稲荷大明神、荒人神社他
 由緒:創建の時期は不明であるが、上総国に居住していた三浦氏の一族・深堀能仲が、承久の変(1221年)の恩賞として肥前国戸八浦(現長崎市戸町付近)の地頭職を受け、建長七(1255)年に当地に下向したときにはすでに鎮座していた。
 長崎の深堀地区は、諫早とも縁が深い地域、藩政時代に竜造寺に追われた西郷氏からも養子に出ているし、後年は佐賀の属領、深堀鍋島家として栄えたところ。
 深堀氏は彼杵郡深堀(現長崎市と西彼杵郡の一部)を知行所とする佐賀藩の家臣。家老格。知行高六千石、元来は関東三浦氏の一族で上総国を居所とした。
(サイト「NTTタウンページ株式会社 」より)

 創建の時期は不明であるが、上総国に居住していた三浦氏の一族・深堀能仲が、承久の変(1221年)の恩賞として肥前国戸八浦(現長崎市戸町付近)の地頭職を受け、建長7年(1255)に当地に下向したときにはすでに鎮座していた。
 元来社名を幸天社と称したが、明治6年(1873)に現社名に改称した。
(「長崎県大百科事典:長崎新聞社発行」より)

社頭
市指定有形文化財・入口に立つ一の明神鳥居(旧幸天宮石神門)
この鳥居(石神門)は2代目であり、 寛文3年(1663)、21代志摩守茂春が初めて石神門を造建した。 その後文政11年(1828)の秋に台風のため石神門が倒れた。この台風では長崎付近の各地も大きな被害を受けた。天保8年(1837)、深堀地区では農作物が大いに稔り復興したので、これはすべて神慮によるものとして深堀藩の執事、氏子などが奮起して建てたのが現在の鳥居である。(石工 防州徳山住 有田与治右衛門)。
鳥居に掛かる額 深堀創設の由来が刻してある石神門碑文
鳥居を潜ると南へ向かう石段参道
燈籠の立つ踊り場を経て東に向かう石段参道
踊り場に立つ二の鳥居 鳥居に掛かる額
石段参道と境内入口
境内の様子
拝殿前、石段下にいる狛犬
吽には小さな角があります。丸い目に瞳が彫られ、垂れ耳の顔つきは獅子頭に似ています。尾は関西風です。
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入母屋造りの拝殿
神明造りの本殿

石祠 石祠
境内社:稲荷神社
境内社:天満宮
境内社:三浦神社入口
三浦神社境内の様子
三浦神社を護る昭和49年生まれの狛犬
やはり瞳が彫ってあり、荒々しい鑿跡が体毛を表現しています。独特な情感が感じられる面白い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和49年(1974)7月吉日建立)
石祠の三浦神社 三浦神社境内に祀られる石祠
纏められた石祠群
土神、大神宮石祠 石祠二基
粟嶋大明神、正一稲荷大明神石祠 石祠二基
荒人神社石祠
石祠 玉露菩薩