山王神社

長崎市坂本2-6-56 (令和4年1月8日)

東経129度52分15.24秒、北緯32度45分50.47秒に鎮座。

この神社は、JR長崎本線・浦上駅の東北東500m程の辺り、坂本の街中に鎮座しております。

御祭神 天照皇太御神・豊受比賣神・大山咋神

由緒
当神社は、島原の乱後、時の徳川幕府老中松平伊豆守信綱が此の地を通過せし際、近江の国琵琶湖岸の坂本に風景・地名共に酷似しているとて、かの地の山王日枝の山王権現を招祭してはとの進言により、長崎奉行・代官は寺町の真言宗延命寺の龍宣法印師に依頼し神社建立に着手した。当時は、神仏混合の習慣により延命寺の末寺として「白厳山観音院円福寺」と称して運営された。
以後、幾度かの盛衰がありたるも地域の氏子の方々に守られて明治維新を迎え神仏分離令により、元来の神社に戻り「山王日吉神社」と改称し浦上地方の郷社となる。
又明治元年、山里地区に皇太神宮が祭られたるも台風等の被害にて損壊し、再建や以後の運営も困難となり、廃社を検討されるを知り氏子は山王社との合祭を願出て許可となり、明治17年1月遷宮し以後「県社 浦上皇太神宮」と称したるも地域では「山王さん」として親しまれ、又「浦上くんち」として大いに賑わってきた。
不幸にも昭和20年の原爆の惨禍に直面し壊滅状態となりたるも数年を得ずして苦境の中から復興の声が上がり、昭和24年より祭典を復活し、以後社殿境内等も次第に復活された。
昭和63年(1988)神社創建より、350年の記念すべき年に幣殿も再建して、ほぼ旧来の姿に近く再建し得た。原爆時の遺物としては、現在は世界的にも有名となった、参道の「石製片足鳥居」境内入口にそびえる「楠の巨木」等が残り原爆の悲惨さと平和の有り難さ等を無言の内に語り掛けてくれる。又、楠木は戦後の数年で発芽、次第に繁茂し現在の雄姿となり、地域の人々に戦後の復興の意欲と活力を与えてくれた。
境内由緒書き より。

参道入口と片足鳥居

参道

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正11年(1922)建立)

参道

拝殿

拝殿内部

本殿

幣殿両脇の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)


末社

御神木の楠

坂本町民原子爆弾殉難之碑