八幡神社

南島原市有家町大苑498番地(平成24年8月19日)

東経130度20分09.84秒、北緯32度40分33.56秒に鎮座。

 この神社は堂崎小学校の北北西約700mに鎮座しています。道路脇の鳥居を潜ると、参道は東向きに作られ、左側・北向きに二の鳥居が建立されています。石段を数段上がると境内入口で、石段右にはバリアフリーの坂道も造られている、人に優しい神社です。境内正面には昭和19年生まれの狛犬が護る妻入りの拝殿、流造の本殿が建立され、境内社として高岩神社が祀られています。

 御祭神:誉田別尊
 祭礼日:10月15日
 境内社:高岩神社
 由緒:創立不詳
 故事来歴について神社明細簿(当社保存)によれば、天正12年(1584)佐賀の龍造寺隆信が、島原半島へ侵攻のおり領主有馬晴信は救援を薩摩の島津氏に求めた。
 島津氏は舎弟中司大輔家久を派して有馬氏の要請にこたえ、精鋭三千を堂崎城下の板瀬に上陸させ祇社場(陣之内)に本陣を置き龍造寺勢に対峙した。
 或る夜家久は決するところあって、単騎で八幡社頭に必勝を祈願し、翌朝軍船を焼き捨て還らざるを期し、島原城下へ出陣した。
 3月24日、島津勢は沖田畷において敵主力と遭遇、敵将隆信の首級をあげ想像もしていなかった大勝利を得たのである。
 家久は神護を謝し、華表を献じ社殿の増築を寄進して崇敬の誠を表したと伝えられている。
 くだって寛永14年(1637)10月15日、島原の乱の発端となった農民蜂起によって社殿堂閣灰燼に帰し焼野が原となったが、寛永16年8月14日再建された。
 寛文3年(1663)9月、豊後国宇佐八幡宮の分神を迎え、爾来堂崎村の氏神として奉祀して来た。
 現神殿は昭和63年5月改築されたものである。

社頭
入口に立つ一の明神鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
境内入口に立つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
境内の様子
参道の様子
拝殿前、昭和19年生まれの狛犬
阿は口中に吽は前脚の下に玉を持っています。昭和19年と言う世相を反映してか、やや厳しい顔付きですが、造りはしっかりしており、この時代の狛犬としては優秀な石工さんの作のようです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和19年(1944)12月建立)
妻入りの拝殿
拝殿内の様子
流造の本殿

境内社:高岩神社
招魂碑 記念碑
37・8年出征軍人寄附人名碑

ご神木