天満神社

南島原市南有馬町戊426 (令和4年1月7日)

東経130度15分18.18秒、北緯32度38分44.70秒に鎮座。

この神社は、市役所北有馬庁舎の南東800m程の辺り、南有馬町戊の街中に鎮座しております。

御祭神 菅原道真朝臣命

由緒
文治2年(1186)小嶋讃岐守が京都北野天満宮の御分霊を奉じて高来郡大野村菅岬(現有明町)に着岸した事に始まると伝える其の後有馬惟住がこの分霊を現在地に奉祀社領として田畑数十町歩を寄進し氏神として篤く信仰した。以後次第に人々の崇敬を集め有馬左衛門佐貴純の頃には佐賀牛津方面まで信仰圏を持つ程であった。当時社領300町歩を有し例祭は二夜三日施行されて騎射等余興神事も盛んであった。江戸期に入り島原藩主松倉重政は島原城造営の用材として当神社の樹木を伐採したと云う。寛永14年(1637)の島原の乱で一揆衆により社殿が焼かれ御神体は藤津に隠れたが、翌15年(1638)村民等で再興された。その後延宝年間(1673〜1680)に藩主松平忠房が社殿修復社領五反の寄進を行った。明治7年(1874)村社列格、現在は南有馬の総氏神として広く崇敬されている。尚、当社の由来を記した延宝9年(1681)2月7日付の銅板(縦16cm・横47cm)が現存する。
境内由緒書き より。

参道入口

神額

参道

神橋

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和12年(1937)丁丑10月15日建立)

本殿


豊受稲荷神社

末社