志自岐羽黒(しじきはぐろ)神社

南松浦郡新上五島町太田郷1671 (令和4年11月13日)

東経129度09分04.21秒、北緯32度57分13.66秒に鎮座。

この神社は、新上五島町役場の東南東7km程の辺り、太田郷の街外れ海岸近くに鎮座しております。

御祭神 倉稲玉神・十城別王神

由緒
創建は天正3年(1575年)。当郷は明治初期まで奈良尾東掛(ひがしかかり)に属しており、同東掛内・岩瀬浦郷鎮座の志自岐羽黒神社からの分霊と推察できる。
かつては郷内別地に鎮座しており、寛文9年(1669年)に神体として大日如来、観世音菩薩を祀り、志自岐羽黒権現宮と称していた。
明治に入ると神仏合祀禁止令に伴い、2体の仏像は別殿され境内社・志自岐羽黒権現宮として祀られている。その後、新たに神体を奉祀し社号も太田神社と改称したが、社号に部落名を使用するのは畏れ多いとして、昭和30年(1960年)11月10日に志自岐羽黒神社に再び改称し、現在の宮地に奉遷した。
明治7年(1876年)5月5日、無格社となる。
ウィキペディア より。

太田の志自岐羽黒神社は、平戸の志々伎神社の分祀とされています。
(「新上五島町観光物産協会」サイトより)

祭神は土城別王、倉稲玉神。主祭神の十城別王は日本武尊(やまとたけるのみこと)の第六子にあたるとされ、この御祭神を祀る総本宮は平戸市に鎮座する「志々伎神社」であり、その分霊は「海神」、「航海安全の神」として、主に西海沿岸各地に分祀され鎮座している。創建は天正3年(1575年)とされ、寛文9年(1669年)には神仏習合の影響で、御神体として大日如来、観世音菩薩を祀ったが、明治の神仏合祀禁止令に伴い、新たに御神体をあつらえ奉斎し、「太田神社」とした。 しかし神社名に集落名を使用することは畏れ多いと、昭和30年に「志自岐羽黒神社」として現在地に社殿を新築した。「航海安全の神」として太田港に隣接し、集落の船舶や沖を通る船の安全を見守っている。 (サイト「南松浦郡新上五島町 - NAVITIME」より)

参道入口

神額

三の鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和8年(1933)旧4月吉日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


志師岐羽黒権現鳥居

志師岐羽黒権現社殿

福姫神社

磐座

石祠