事代主神社

南松浦郡新上五島町宿ノ浦郷162付近 (令和4年11月14日)

東経129度03分40.33秒、北緯32度52分40.47秒に鎮座。

この神社は、中通島の南部奈良尾港の北4km程の辺り、リアス式海岸の奥深くの白魚地区、白魚千人塚のフェンス内に鎮座しております。

御祭神 事代主神

由緒
明治39年4月 近藤文太郎 奉納

社殿


白魚千軒跡(千人塚)
青方氏の分家である青方弘高は、文永2年(1265)にここ白魚へ移住し、白魚弥次郎と名乗った。白魚氏2代目の九郎時高は、元軍来襲に備え、筑前姪(現在福岡市)警固番役を命じられた。また、4代目の弥九郎繁は、南北朝時代の動乱にあたり、南朝方として参戦するなど、本家青方氏をしのぐ勢力を持つにいたった。これは白魚氏が独立した地頭職の獲得を目指し、峯・青方両氏との複雑で長期間にわたる論争の延長戦のことであった。しかし正平13年(1358)12月、弥九郎繁出陣の留守中に、青方氏の重臣である吉村半右衛門の攻撃を受け、あえなく敗れた。この「千人塚」は吉村氏との戦いに散った白魚氏家臣の墓であるが、石塔の特徴から南北朝時代のものと考えられる。
境内由緒書き より。