楠公神社
諫早市白浜町369番地(平成24年8月20日)
東経130度05分57.63秒、北緯32度52分31.08秒に鎮座。
この神社は長崎本線・小江駅と肥前長田駅の中間付近、白浜町集落の中央辺りに鎮座しています。白浜公民館の前に入口があり、大きな森が北に向かって伸びています。火の見櫓と半鐘を左に見て石段を上がると、「八幡宮」の額を掲げた一の鳥居が建立され、静かな参道を進むと、石垣が組まれ、二の鳥居が立つ境内入口に行き着きます。二の鳥居には「楠公神社」の額が掲げられ、「あれあれ?」と思いながら拝殿を覗くと、今度は「楠公神社 八幡神社」の額が掛かっています。「楠公神社と八幡神社」が合祀された結果だと、ここでやっと納得。拝殿を回り込むと、流造の本殿が建立されています。
1月に執り行われる例祭「畳破り」の時には、この静かな境内が千早城の攻防に見立てた合戦の場に変わり、楠木勢と幕府勢の攻防が繰り広げられる様です。
御祭神:楠公神社:楠木正成公、正行公父子、八幡神社:応神天皇
祭礼日:1月第二日曜日
境内社:稲荷社
由緒:南北朝時代の武将、楠木正成・正行親子の武神と鎌倉幕府を創建した源氏の氏神「八幡宮」が合祀され、社殿内の銘板には「楠公神社」「八幡神社」の二つの名前が併記されている。畳破りの最も有力な由来は、この両軍が激突した「千早城の攻防」(1333年)を再現したとの説。
畳破りの例大祭は100万ともいわれた幕府軍に対し、わずか1000人足らずの兵で籠城した楠木勢の奇襲攻撃による勝利を祝した祭りであるとか、地域の和平を保つために祭りを通して双方の祭神の融合を図ったとも伝えられている。こうした話は昔から有名だったのか、戦時中には出征兵士やその家族が島原などから1日がかりで勝利祈願に訪れたという。
(佐賀新聞社「お国自慢 再発見」より)
社頭 |
|
入口の石段参道 |
|
入口脇の木々の中に埋もれる、火の見櫓と半鐘 |
|
一の鳥居 |
鳥居に掛かる額「八幡宮」 |
|
|
参道の様子 |
|
境内入口 |
|
鳥居入口に立つ二の鳥居 |
鳥居に掛かる額「楠公神社」 |
|
|
境内の様子 |
|
入母屋造りの拝殿 |
|
拝殿内の様子 |
拝殿内に掛かる額
「楠公神社 八幡神社」 |
|
|
流造の本殿 |
|
境内社 |
|
石祠「稲荷大明神」他 |
|