十六善神社

諫早市多良見町西園627-2 (令和4年1月8日)

東経129度57分32.34秒、北緯32度50分27.06秒に鎮座。

この神社は、JR長崎本線・東園駅の西南西500m程の辺り、多良見町西園の街外れに鎮座しております。

御祭神 不明

由緒
この神社はもと元釜名浮津にあり、浮津大明神といわれていました。
延宝3(1675)年に痘瘡(天然痘)が流行した時、お告げにより現在地に遷したところ、痘瘡の流行が止んだといわれています。そのため、十六善神社は痘瘡の神様としてひろく崇敬され、遠来の参詣者もありました。天保14(1843)年、藩主鍋島家の若君勇太郎が痘瘡にかかった時には、喜々津村の村役も十六善神社に参籠するようお達しがあっています。十六善神社は、旧大草村の村社として村民の信仰の中心でした。昭和40年頃まで神職が居住していました。
一の鳥居は安永5(1776)年の建立で、高井良□□、その他数名の氏名が刻んであります。
二の鳥居右柱には、「當村領主、三村□□□門」と刻まれています。諫早一揆の中心人物であった諫早家老三村惣左衛門の寄進と思われます。
諫早市公式サイト より。

参道入口

神額

参道に架かる神橋

石段左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和19年(1944)4月建立)

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋


忠魂碑

忠魂碑を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)


石祠

石仏