聖母(しょうも)

壱岐市勝本町勝本浦554-2 (令和5年3月31日)

東経129度41分35.07秒、北緯33度51分06.74秒に鎮座。

この神社は、壱岐島の北端の勝本港、その北端海岸近くに鎮座しております。

御祭神 息長足姫尊・足仲彦尊・誉田別尊・住吉大神

由緒
『壱岐名勝図誌』によると、仲哀天皇の9年神功皇后は肥前唐津の神集島で三韓出兵の勝利を祈願し、土器崎より壱岐に向けて3、270艘の軍船を出発させた。
この時、船が進むのにつごうの良い東風が吹きはじめた土器崎の地を風本と名づけ東風が吹きゆく壱岐の方向を風早と名づけた。
壱岐すなわち風早の島についた皇后は風まちをして対馬の鰐津に向けて出帆した地を風本と名づけ、三韓からの帰りに再び立ち寄られ出兵の勝利を祝い勝本を改められたという。
皇后は、出兵の往来にさいし行宮を勝本に建てられたが、御殿はその後放置されてしまった。
しかし毎夜海中から光る物があがってくるという出来事が続いたので里人は鏡を御殿に納めて神功皇后を神としてしまつったのがこの神社であると伝う。
また、一説には異敵の首101,500を持ち帰った皇后は、風本の浜に穴に掘って埋められ、9町8反の築地を一夜で築きその上に宝殿をつくり、聖母の社を建てられたとある。
文化財
昭和47年に長崎県指定有形文化財とされた茶壺が有名、壺の銅部に『進入、日本いきしま、風本宮、聖母大菩薩、御神物ちやいれ、是ヲ心サス、喜斉、百良内村生、宗沙門(花押)天正20年 敬白』の銘がある。
その他に数多くの文化財が伝えられているが神社の西門と南門は豊臣秀吉の朝鮮出兵の折りに、加藤清正と鍋島直茂によって造営寄進されたと伝えている。
この西門(正門)の前方には、神功皇后の御乗馬の足跡がのこるという馬蹄石がある。
境内由緒書き より。

参道入口

境内入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿内部

拝殿奥の神殿狛犬

本殿覆屋


恵比須、大黒等

狛犬

稲荷神社

元寇上陸地

馬蹄石

絵馬