七嶽(ななたけ)神社

五島市玉之浦町荒川805 (令和4年11月11日)

東経128度41分34.07秒、北緯32度40分50.45秒に鎮座。

この神社は、福江島東部、玉之浦町荒川の街外れに鎮座しております。荒川地区から384号線を離れ狭い道路を七つ岳に向かって進むと、前方にデコボコした峰が連なる七岳山の威容が見えてきます。周囲の山々とは異なる山容に心躍り、又、平家の落人伝説が生まれ人々に厚く崇敬されてきたその歴史がなんとなく理解できた気がしました。
又、ご祭神の武甕槌命、経津主命の二柱の神は共に記紀神話に現れる武神であり、源義経の四天王の佐藤継信を屋島で討ち取り、壇ノ浦で義経を追い詰め八艘跳びを演じさせた平教経と、相通ずる物があるのも一因かな…とも思いました。
落ち着いた感じの境内は広く、きれいに清掃され、この社への崇敬の厚さが感じられます。季節柄境内の紅葉が綺麗に紅葉していたのも印象深かったです。
尚更に車で林道終点まで行き、駐車場に車をおいて石の鳥居を潜り石の階段状の登山道を登ると約10分程度で石の祠がある上宮到着だそうです。今度時間があるときにはこちらまで参拝させていただきます。

御祭神 経津主命・武甕槌命

由緒
七ッ岳(標高431.5m)の名称の由来は諸説あるが、壇ノ浦の合戦で源平の趨勢が決した際、海中に身を投じて果てたとされる平教経が、合戦後従者6人を従えて源氏方の追手から逃れ、五島まで逃げ延びたが、当地で進退行き詰まり、山中にて自刃して果てた。それを哀れんだ地元の人々が主従7人の冥福を祈り7基の石碑を建て亡骸を供養したといい、それが現在の七嶽神社とされている。また一説には、壇ノ浦の合戦後、追討軍に追われる教経(一説には知盛)を従者7人が犠牲となって守り抜き、当地に逃げ延びた教経が、その遺骸を山中に埋葬し弔ったためともいわれている。
なお、周辺一帯は貴重な植物が多く、七ッ岳とその北側にある父ヶ岳(標高460.8m)の山間には、名椿「玉之浦」の発見地があるが、現在は心無い乱獲により原木は枯れてしまっている。
*平教経(1160〜1185)・・・平清盛の甥、平家随一の猛将とされ、源義経四天王の佐藤継信を屋島で討ち取り、壇ノ浦で義経を追い詰め、八艘跳びを演じさせた張本人とされる。
境内由緒書き より。

参道入口

神額

二の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和9年(1934)旧9月吉日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿