五島市下大津町631-635 (令和4年11月12日)
東経128度51分29.59秒、北緯32度40分58.67秒に鎮座。
この神社は、五島市役所の南東2km程の辺り、下大津町の街中に鎮座しております。この社は福江地区の巌立神社、五社神社、玉之浦地区の白鳥神社とならんで『五島四社』と称され島民から多大な崇敬を受けています。それを証明するかのように境内の四方入り口には10基ほどの鳥居が建立されており、又境内社も多数祀られています。
御祭神 応神天皇・神功皇后・瑞津姫命・田心姫命・厳島姫命
末社神 武王神社・多賀神社・春日神社・住吉神社・厄神社・猿田彦神社・稲荷神社
例祭日・旧8月14日15日16日
由緒
五島家の始祖宇久家盛が京都より宇久島へ来島の折、守護神として山崎の八幡宮を奉迎して宇久島の神崎に一社を建立して氏神とした。第10代宇久基は文安4年(1447)当家に由緒深い宇久島の飯良八幡宮を現在地に奉還して正八幡宮と奉称した。
そして五島の総鎮守と定め、天下泰平、武運長久、領内安穏を祈願した。
その後26代五島盛住は元禄5年(1692)2月より拝殿の修理をして同6年8月成就し遷宮をした。
八幡宮とは応神天皇の霊を祀ったものであるが、古来我国の武将が特に八幡宮を尊崇する由緒は古くは称徳天皇の意志奉じ和気清麿呂が宇佐八幡宮に参篭して神託を受け、僧道鏡の野望を斥けた故事、また鎌倉時代、異国元の進攻に対して後宇多天皇が男山八幡宮に行幸祈願され、大勝護国を得たことなどによる。ちなみに八幡神は我国最古の神仏合神と言われる。
宝暦5年(1755)の社領三十三石二斗。
以来五島家の尊崇篤く、明治初年の版籍奉還に至るまで祭典費はもちろん、造営修繕に至るまで御用普請として藩中第一の総社として崇敬された。
明治4年郷社に列せられ、明治40年1月11日神饌幣帛供進に指定された。
さらに昭和16年5月8日郷社より県社に昇格し、同年7月4日神饌幣帛供進神社に指定された。
ここの社叢は疎林ながら珍しい樹木と草本があり、樹木の中には巨大なシナエンジュ(中国渡来のマメ科植物)もあり、草木の中には市指定天然記念物のクワズイモがある。
由緒書きより。
参道入口と一の鳥居
神額
二の鳥居
境内入口
境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
境内
拝殿
本殿
厄神社
厄神社を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(慶応4年(1868)戊辰3月吉日建立)
名賀大明神
石祠
石祠傍ら一体だけの狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
武三宮鳥居
本殿覆屋
石祠
頭の無い陶器製狛犬
石祠