安曽神社

上田市古安曽1500(平成23年8月21日)

東経138度12分59.19秒、北緯36度20分36.93秒に鎮座。

 この神社は82号線沿いに鎮座しています。
 入口に「郷社 安曽神社」と刻まれた社号標が建ち、鳥居を潜り杉並木の参道を進むと、立派な楼門形式の随身門が建立されています。随身門の中には、手前に随身像が、裏側に御神馬像が安置されています。
 門を潜ると境内で、右には神楽殿、左には手水が配され、更に三本だけの御柱が立っています。境内奥中央に、両翼を広げた形の拝殿が建立され、拝殿の後方、垣の中に正徳四年(1714)に再建された流造の本殿が優雅な姿を見せています。
 拝殿の右には地主神だった石上布留社、左手には子安社が祀られており、その他森の中には蚕影社、神明社、男石社、三峯社、天神社等の境内社が点在しています。
 ここ塩田平は鎌倉、室町時代からの古刹が多いことから「信州の鎌倉」と言われているそうですが、この社もそれらの古刹に負けぬ由緒があり、社叢は大きく広く清々しい雰囲気で、通りすがりに参拝させて戴いた神社なのに、とても得した気分になったことを覚えています。

 御祭神:大己貴命(大国主命)、建南方命(諏訪大社上社の祭神)、八坂刀売命(諏訪大社下社の祭神)
 祭礼日:10月第三日曜日・秋の例大祭
 境内社:子安社、石上布留社、蚕影社、神明社、男石社、三峯社、天神社
 由緒:旧郷社、鈴子、石神、柳沢、旧三ケ村の産土神。
 創建年代は不詳。
 社伝によると貞観年代(860年頃)に国々の諸神及び仏像経巻を収め、後に信濃権守岑嗣が阿曽山舎社として再建する。寿永年代(1185)に源頼朝が諸国の神社を修理させたので当地の地頭芳沢民部介光綱は、石上布留社の境内に阿曽社を建立して遷座した。観応2年(1351)に兵乱が東国より此の地におよび、芳沢城が落ち芳沢氏と阿曽社の事蹟は失われてしまったと伝えられている。
 棟札によれば本殿は正徳4年(1714)に再建されている。

社頭 社号標
「郷社 安曽神社」
入口に立つ両部鳥居 鳥居に架かる額
参道の様子
随身門 楼門
文政7年(1824)造立
神社を守るために随身姿の二神の像を左右に安置する門。左右の二神はかどもり神(かどもりのかみ)と看督神(かどのおさ)で俗に矢大神と左大神ともいわれている。二神の裏側には神馬の像がおかれている。この門は入母屋の楼閣造りで二重の扇たる木が美しい。二層目には廻廊をめぐらし勾欄がつけられている。等身大の随身像と楼閣造りの随身門は近隣では見られない堂々たるものである。
境内の様子
左右に翼拝殿がある珍しい拝殿
正徳4年(1714)再建の本殿

石上布留社
祭神:布留御魂剣
郷土を鎮め護る神として奈良県天理市布留町に鎮座する石上神宮より勧請された社と思われます。
安曽神社の地主神で、石神の地名の語源と考えられます。
子安社
祭神:木花咲耶姫命
天孫瓊瓊杵尊の妃で、父は大山御祇命である。安産と育児の神として祀られている。
蚕影社
祭神:天照大神
養蚕の神として祀られた。
男石社
祭神:伊弉諾尊
天照大神の父神で、国産の神である。立派な強い男児が授かることを祈願して祀られた。
神明社
祭神:保食神(伊勢神宮外宮の祭神)
農業、産業の神として祀られている。棟持柱は伊勢神宮独得の造りである。千木と勝男木が失われている。
天神社
祭神:菅原道真
学問の上達を願って天神さまが祀られている。笠石の左右に梅鉢紋が彫られている。
三峯社 境内に立つ御柱
神楽殿
鐘楼