足長神社

諏訪市四賀普門寺5386(平成23年8月20日)

東経138度8分13.11秒、北緯36度1分19.48秒に鎮座。

 この神社は20号線・四賀信号から424号線で東に向かって入り、中央本線を渡り約200m、四賀桑原信号を左折。約120m程進むと右手に社号標が立ち、石段の参道が杉の大木の中に続きます。途中で明神鳥居を潜り、歩きづらい石段を足下を注意しながらもどんどん上がっていくと、さっきまで通っていた424号線が目の前を横切っています。ここから先は比較的歩きやすい石段で、又もしばらく階段を上ると、横に広い境内に出ます。
 境内左右には二本の御柱が立ち、左手には市指定文化財の重厚な屋根を持つ舞屋(神楽殿)が配されています。その境内中央奥にまたも石段が造られ、上の境内に上がると目の前に、同じく市指定文化財で素晴らしい彫刻が施されている拝殿が建立されています。そして、拝殿の後方に渡廊により拝殿と一体化した本殿が鎮座しています。本殿も市指定有形文化財だそうです。そして本殿右側には末社の石祠が並び祀られています。
 帰りは神社左側を回り込み一山越えて足長丘公園に足を伸ばすと、神社の出口に二見浦のように注連縄が掛かった二つの岩の上に祀られている末社が見られます。

 御祭神:脚摩乳命
 祭礼日:例祭・11月27日
 境内社:多数
 由緒:長野県諏訪市四賀の桑原城跡山腹にある神社である。旧社格は村社で諏訪大社上社摂社。 古くは荻葺きの屋根であったため荻宮と呼ばれていた。
 脚摩乳命(あしなづちのみこと)を祭神とする。脚摩乳命は別名を足長彦神といい、諏訪大社の祭神・建御名方神に随従する神である。日本神話では、建御名方神の先祖の奇稲田姫の父神の名として登場する。同じ諏訪市内には母神の名である手摩乳命を祀る手長神社もある。
 諏訪史跡要項によれば、桑原地域一帯が一つの郷であった頃は足長・手長の両神を合祭していたが、後に上桑原・下桑原に分れた時に各地域住民の鎮守産土神として足長神を上桑原、手長神を下桑原に分祭したと記されている。しかし、足長神社の鎮座する地名は足長山であり、また諏訪資料叢書集録、神長本諏方上社物忌令之事下十三所名帳の地名と思しき箇所に手長・足長がある事など、先に地名があった所へ記紀神話の脚摩乳・手摩乳を持ち込んだ可能性もあり合祭・分祭については不明確である。
 大同年間(806年〜 810年)には御表衣祝有員(みそぎほうりありかず、諏訪大社上社大祝の祖)が当社を崇敬して広大な社殿を建築した。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
社号標 明神鳥居
石段参道
参道を横切る424号線
境内入口
下の境内の様子
下の境内に立つ一と二の御柱

市指定文化財・舞屋
上の境内入口
上の境内の様子
市指定文化財・拝殿
拝殿正面の彫刻
拝殿彫刻類拡大写真はこちら
拝殿内の様子
拝殿内に架かる額

市指定有形文化財・本殿
末社の石祠 末社の石祠
末社の石祠
参道入口に聳えるご神木
境内石段参道脇に聳えるご神木
二見浦のように注連縄が掛かった二つの岩の上に祀られている末社