阿礼神社

塩尻市塩尻町 (平成17年4月29日)

この神社は中山道・宮本町バス停付近の歩道橋から北に100メートルほど入った道路角に面して鎮座する式内の惣社で、素盞鳴命、大巳貴命、誉田別命の三柱を祀っています。由緒によると、もともと『阿礼ノ神』は、塩尻峠西麓を流れる四沢川流域で集団生活を送っていた諏訪族神氏を祖とする氏族が、上流にある五百砥山そのものを御神体に祀ったものといわれていますが、農耕を行うようになるにつれ麓に移り住むようになり、852年諏訪明神に縁のある素盞鳴命を主祭神に、大巳貴命を相殿神とする社殿を明神平に造営しました。その後、1191年に塩尻は「東條」と「西條」に分割され、地頭西條氏は諏訪明神を、地頭塩尻氏は、現在神社の建つ社域に八幡宮を勧請し氏神としました。前述の明神平に設けられた社殿(現奥宮)が阿礼神社の始まりで、塩尻氏が建てた八幡宮が現在の阿礼神社となりました。又この神社は武将らに武運祈願の神として厚く崇敬され、坂上田村麻呂が蝦夷征討の途中に立ち寄ったり、木曽義仲も参拝し塩尻の諸豪族や諏訪一族に挙兵を要請したといわれています。現在の社殿は、将軍吉宗時代の寛保三年( 1743 )に再建したものです。神社名の阿礼は、『アレ』で『村落』を意味する古代語のようで、この事からもこの神社の歴史の古さが伺えます。この神社、境内が広く、其れを取り巻くように木々がそびえ立ち、社殿も大きく立派で、何よりも今まで見た事のない変わり種の狛犬が2対も居たことが印象に残っています。

(石工・赤羽 要人  建立年代不明)

(昭和57年6月29日復献)

縁起と狛犬の拡大写真はこちらで

境内入口

ご神木

龍の石井戸?手水?
昔はこの龍の口から水が
出ていたのでしょうね。

裏参道入口

境内の二の鳥居

境内正面の様子。
前宮と左右の相殿

荘厳な前宮

前宮内部の様子

木の間から見る奥宮

前宮の左には摂社群

こんな埴輪みたいな狛犬は始めてみました。この石工さんの作品は他の神社にも有りました。地域では腕の良い石工として認められていたのでしょうか?

台座に昭和の復献と書いてありますが、この崩れかけた狛犬も復献したのでしょうか?それとも台座だけの復献なのでしょうか?