御射山(みさやま)神社

下伊那郡松川町上片桐 (平成23年9月10日)

東経137度55分3.69秒、北緯35度36分44.48秒に鎮座。

この神社は、JR飯田線・上片桐駅の東1km程の辺り、上片桐の東外れ、豊かな森に囲まれ、静かに鎮座しております。

社伝に拠れば建暦元辛未年(1211)船山城主片桐小八郎為安が、大和国三輪より大己貴命を遷座し、のち諏訪上社建御名方命、下社事代主命を勧請したといわれる。古代において出雲族の系統である諏訪族が信州に強大なる勢力を有するにいたり、ことに上代においてこの地方は一時諏訪国であった関係から、諏訪神社の分布が濃厚である。ことにこの片桐郷は諏訪史料等によって古くから関係があったことが知られ、また、本社の社名が諏訪神社の最も重大なる御狩の神事を行った御射山に負うことも注意される。・・・・・・
上片桐村誌 より

本城址は平安時代伊那郡ノ豪族南信濃源氏ノ主流片桐氏ガソノ本拠片桐郷中村ヨリ移居シテ後其居城クリシ所。
爾来室町時代ヲ経テ戦国時代二及ビ威ヲ四方ニ振ヒシガ天正十年織田信長ノ伊那郡攻略ニ際シ同年二月兵火ノ為二自落。以後廃城トナル。
松川町教育委員会

長野県史跡 船山城跡
この城跡は、平安時代末から室町時代末に至る四百有余年にわたり、伊那地方に栄えた信濃の名族、片切氏によって築城されたものであり、天正十年(1582)に織田氏の侵攻によって落城したと言われるまで同氏の本拠地になっていたところである。
城跡は、下伊那郡松川町城の集落とその東方に延びた河岸段丘の先端の地形を利用して構築されている。南は南沢の渓谷、北は天神びらの急斜面で、上伊那郡中川村南田島に面し、天竜川及び天竜川の東の丘陵地帯を展望できる要害の地に位置している。また、西方より東方に細長く突き出した形状が船を山上に置いた如くに見えることから、船山城の呼称が起きたものであろう。
城跡の規模は、出丸と呼ぶ船山一帯の郭地域(中世前期)及び城畑一帯の本城地域(中世後期)の二地域で、本城には大規模な二つの郭が、出丸には大小四つの郭が設けられている。城内の北隅には、守護神の御射山神社を祀り、城外に接して瑞応寺(元は宗珠院)があり、一帯は古城館跡の遺構をよく残しており、この地方の代表的な中世城館跡である。
長野県教育委員会

参道入口

社号標

樹齢五百年余の枝垂れ彼岸桜

境内入口の狛犬と二の鳥居

境内入口の長野型狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和13年(1938)4月建立)

境内

拝殿

本殿覆屋

拝殿より窺う本殿正面

末社

一之柱 二之柱 三之柱 四之柱 五之柱

御柱の記録。7年に1度の式年御柱祭は、伊那谷最大の伝統行事といわれているようです。