福与三柱神社

下伊那郡松川町生田 (平成23年9月11日)

東経137度55分46.88秒、北緯35度34分53.37秒に鎮座。

この神社は、JR飯田線・伊那大島駅の南東1.5km辺り、天竜川の東側、川沿いに続く松川町生田の街中に鎮座しております。

福与三柱神社の由緒
元和六年徳川家光三代将軍の頃、諏訪大明神はこの地に迎えられ祭事が行われていた。寛延四年七月二十一日福與村鎮守として諏訪社の造営が行われたのである。
八幡宮も元和六年に京都石清水八幡宮から分霊を請け鎮守として祭事が行われていた。この頃、春日社も同様に祭事が行われていたものである。
天明三年に福與村鎮守として三社の神殿の再建に着手することになり、諏訪社は天明三年四月初十日に造営された。
天明五年には春日社を、更に天明八年戊申霜月十五日に八幡社の造営がなされて神殿の再建が終る。神殿は雨覆もなく風雨に晒され腐朽させるに忍びず、覆屋を建て、三社を一棟に奉戴したのである。時に寛政八年丙辰九月四日であった。
爾来明治大正年間を経て昭和三十五年六月に拝殿の新築がなされ幾多の変遷を経てここに記念すべき二百年を迎えるに至る。
境内由緒書き より

神社入口

鳥居

社号標。誉田別命・建御名方命・天児屋根命の三柱の神名が書かれています。

境内

拝殿

本殿覆屋

本殿


末社

手水鉢

御神木