安布知神社

下伊那郡阿智村駒場 (平成21年4月19日)

東経137度44分54.02秒、北緯35度26分39.70秒に鎮座。

【神社情報・Rumarin&Saiseiさんより】
国道153・駒場東の北100メートル(一の鳥居)、阿智第一小学校の横、参道の右手に小学校があります。

狛犬は石段の途中にいますが、左の吽がやや猿に似ているのが特徴的です。風化していて正確な年号はわかりませんが、「延」らしき文字があることから、延享年間の可能性が高いと推測されます。社殿の横や本殿の裏には祠などがたくさん並んでいて、良い雰囲気です。本殿は覆われていてよく見えませんでした。(夕方だったせいもあるかも)

安布知神社(あふちじんじゃ)
御祭神:天思兼命(あめのおもいかねのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)・誉田別尊(ほんだわけのみこと)
由緒
 社伝によれば、人皇十六代仁徳天皇五十六年、この地の地主神が明灯山に夜光となって現れ、山の枯木の元を掘れとのお告げにより掘ったところ、八花鏡を見いだし、この鏡を御霊代として祠を建てて祭ったのが当神社の創建といわれている。
 天思兼命は、高天原で最も知慮の優れた神として、古事記・日本書紀に記されているが、平安時代の史書「先代旧事本紀」に、天思兼命とその子天表春命は共に信濃国に天降り、阿智祝部(あちのはふりべ=阿智の神事を司る神主)等の祖となったと記され、古代の伊那谷西南部一帯を開拓した天孫系の神で、昼神に鎮座する阿智神社の御祭神と同一で両社は古くより密接な関係があり、北信の戸隠神社とも因縁が深い。
 またこの地は、古代東山道の阿智駅(あちのうまや)がおかれたところで、駅馬三十頭をおいて険難な神坂峠に備えた阿智駅の守護神として、当社は重要な位置を占めている。
 慶雲三年(706)八幡大神を勧請して相殿に祭り、また天正元年(1573)松尾城主小笠原信貴は甲斐源氏の遠祖にゆかりの新羅明神を近江国三井寺から勧請して、三間社流れ造り、間口十八尺奥行九尺の善美を尽くした神殿を造営し、天思兼命を主神に、八幡神・新羅明神を相殿に奉祭し、日之御子大明神を明灯山に勧請した。
 その後寛文十一年(1771)駒場上町の領主宮崎太郎左衛門公重により規模様式共に天正のままの社殿を再建したのが現存する本殿で、正面の金柱、欄間の彩色等に造営当時の華麗さをしのぶことができる。なお、拝殿は延宝三年(1575)神主林杢太夫の建立で、境内のヒイラギ・サカキと共に村指定文化財である。
 また江戸時代は徳川幕府から朱印領十石が寄進され、慶安二年(1649)徳川家光以来幕末まで九通の朱印状が現存する。
境内由緒書より。原文はこちら。

管理人の一言。
由緒書には八幡神・新羅明神を相殿に奉祭し・・・とあるが、御祭神の須佐之男命は何処から来たのでしょうか。多分、新羅の神では明治政府のお気に召さなかったのでしょう。

社標と鳥居

参道

狛犬には見えないほど素朴な狛犬です。拡大写真はこちら。

(延享年間?(1744-48)建立)

拝殿

拝殿天井絵

社殿側面

社殿横の神々