八幡神社

佐久市蓬田101-1 (平成29年8月19日)

東経138度24分04.30秒、北緯36度16分22.22秒に鎮座。

この神社は、旧中山道、八幡(やわた)宿の中に鎮座しております。地名と異なり八幡(はちまん)神社と称するようです。

御祭神 應神天皇・神功皇后・玉依姫命

由緒
創建年月未詳なれど、伝承に貞観元年(859)滋野貞秀公によるといわれ、望月三郎公は鬼門除の神として信仰されたという。
「吾妻鏡」に「佐久八幡宮御前20騎」とあるを見ても、当時の武将の崇敬の厚かった事が偲ばれます。
延徳3年(1491)滋野遠江守光重公建立の棟札に「仰彼八幡宮之其始雖送数百歳更不知建立始爰」とあり、又「建立始望月御牧中悉致本意云々」とあり、当時御牧七郷の総社として七郷住民総発起の形で建立された事が考えられる。
その後、天正5年(1577)武田信玄の臣武田左馬助豊公、滋野印月斉公、馬場遠江守重信、息女弥保姫等によって修理。寛文4年(1664)酒井日向守公葺替。元禄11年(1698)石川美作守公葺替。さらに牧野藩主となっても代々崇敬厚く、元禄16年(1703)、享保9年(1724)、寛保元年(1741)、天明3年(1783)には康満公によって寺尾山、諏訪山の用材を頂き、両佐久、上小諏訪、上州方面からも寄進と相まって本殿の再建立が行われ、旧本殿は、高良社として祀られ、後文化14年(1817)、天保14年(1843)、嘉永7年(1854)、明治31年(1898)、昭和9年(1934)と営繕が行われ今日に至っています。御神徳は古くより地方の守護神として殖産興業、武神縁結び、その他深く厚く各方面の人々に重く崇敬されています。
境内由緒書き より

旧本殿高良社のほかに、瑞籬門が宝永5年(1708)、本殿と拝殿は天明3年(1783)、随身門は天保14年(1843)に建立された。また、額殿には、1780年に奉納された県下最古といわれている算額がある。
佐久市公式サイト より

八幡宿とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十四番目の宿場である。現在の長野県佐久市八幡。千曲川の西岸にあたり、対岸の塩名田宿との距離は1里もないが、川止めになったときの待機地として、また千曲川沿いの米の集散地として江戸時代初期の慶長年間に整備された宿場である。
ウィキペディア より

参道入口

一の鳥居

二の鳥居

昭和ながら渋い顔の堂々とした狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和10年(1935)9月10日建立)

台座のシーサー

神額

随神門

随神門の彫刻
随身様

参道

境内

拝殿

本殿

彫刻


高良社
延徳3年(1491)望月城主滋野遠江守光重を中心に御牧郷の総社として建立。社殿は3間社、流造、こけら葺、庇門、手挟の絵模様、木鼻の模様など室町時代の特徴的な美術がよく現れている。国の重要文化財に指定されている。「高良社」とは周辺に定着した朝鮮からの渡来人の社、高麗社の意。
佐久市公式サイト より

厳島社

諏訪大明神

石祠等

安永9年(1780)庚子奉納の県下最古といわれている算額

歌川広重の木曾街道六拾九次、八幡宿