仁科神明宮

大町市社宮本1159(平成18年10月15日)

 この神社は【狛犬情報・ジンジャーさん】からのお薦め神社です。コメントに「個人的に大好きなお宮さんで、伊勢神宮に似た造りの小ぢんまりした社殿が山の中腹に鎮座されています。 時代も古いので?狛犬さんはいらっしゃいませんが、白木造りのお社が 森や自然と静かに一体化してちょっと他の神社と違うなんともいえない 清々しい佇まいなのです。」と有りました。

 大糸線・安曇沓掛駅から真っ直ぐ東の山麓に向かい、高瀬川を渡ると、51号線に「神明宮」の社号標が建っています。そこを突っ切り、尚も東に500mほど進むと、塩の道沿いに社号標「仁科神明宮」と大きな伊勢鳥居が建っています。この奥300mに大きな駐車場があり、その左の鎮守の杜の中に参道は続いています。途中には推定樹齢800年の三本杉や、高遠石工が明治11年に造立した手水舎があり、4人の力士が懸命に水鉢を支えていました。ここからが境内で、参道右側には神聖な神池が清水をたたえ、仲の良い夫婦杉が聳えています。尚も杉の大木の間を抜けていくと階段があり、この上に神門や拝殿、国宝に指定されている中門と釣屋、神明造りとしては日本最古の本殿等の社殿が山の傾斜地に沿って建てられています。これが又見事に鎮守の杜に溶け込んでいて、ジンジャーさんのコメント「白木造りのお社が 森や自然と静かに一体化してちょっと他の神社と違うなんともいえない 清々しい佇まいなのです。」を身をもって実感できました。御本社の伊勢神宮は神門すら近くでは写真撮影禁止であるのに対して、ここは本殿の傍まで行って拝見する事ができ、神社ファンとしては最高の環境にあります。又、境内社が17社もありますが、丁寧にそれぞれの社名と御祭神名がきちんと書かれていました。
 主祭神:天照大神
 由緒:創祀は不詳ですが、後冷泉天皇(1045-1068)の御代ではないかといわれている古社です。伊勢神宮の内宮領となった仁科御厨の鎮護の社として伊勢から勧進された神社で、仁科氏が400年の永き間神事を司っていました。仁科66郷の総社で、「天照皇大神宮」とも呼ばれ、穂高神社、若一王子神社と共に仁科三大社の一つとして、又、全国7神明宮の一つにも数えられています。天正10年(1582)に仁科氏が滅亡した後は松本藩の祈願所として保護されてきました。明治に入り、5年に郷社、26年に県社となりました。
 祭礼:元旦祭(1月1日)、祈年祭(3月14・15日古式作始めの神事あり)、大祓祭(6月30日・12月31日)、例祭(9月14日〜15日太々神楽)、新嘗祭(11月22日〜23日)、式年遷宮祭(伊勢神宮に習い20年ごとに斎行され、次の大祭式年遷宮祭は平成11年に斉行の予定)
 9月15日の例祭に奉納される県指定無形文化財の神楽は能を取り入れた神楽で、剣の舞・岩戸神楽・水継・五行の舞・幣(ぬさ)の舞・竜神神楽・道祖神の七座から構成されていますが、昔はさらに大蛇の舞があったといいます。荘重典雅な舞で、現在は保存会によって、神楽の正確な伝承が図られ継承されているようです。
 又、社叢も県指定天然記念物となっており、杉・桧が主で、他に赤松・栗・木楢・ツガ・樅などの巨木・大木で形成されているそうです。

県道51号線・
宮本交差点に建つ社号標
塩の道に面した神社入口、伊勢鳥居
社号標「仁科神明宮」
参道の様子 参道はここから鎮守の杜の中となります。
推定樹齢800年
三本杉
明治11年造立の手水舎、三人の高遠石工が造りました。
水鉢は4人の力士が支えています。
境内入口 参道右側の神池
夫婦杉 この階段を上がると神門です。

神門 拝殿正面
国宝に指定されている、本殿と釣屋、中門
国宝・本殿側面裏側から
江戸時代初期の寛永13年(1636)の造営で、桁行3間、梁間(はりま)2間の檜皮葺神明造の端整な建物です。神明造の建築物としては、唯一の国宝となっています。又、手前の小さな屋根は井戸です。
国宝・釣屋、中門と拝殿を裏側から
釣屋、中門共に寛永13年(1636)の造営で、中門(御門屋)は檜皮葺切妻造の四脚門です。本殿と中門の2棟を連結しているのが釣屋です。
仮宮 初代ご神木
推定樹齢900年の巨大な杉の切り株
境内社・子安社
  
境内社・九頭竜社
  
境内社・下諏訪社
  
境内社・上諏訪社
  
境内社・下加茂社
  
境内社・上加茂社
  
境内社・稲荷社
  
境内社・伊豆社
  
境内社・八幡社
  
神楽殿 社殿前から入口を振り返る
境内社・簀社
  
境内社・武山社
  
境内社・熊野社
  
境内社・白山社
  
境内社・鹿島社
  
境内社・春日社
  
境内社・三島社
  
境内社・北野社