竈神社

大町市大町(平成18年10月15日)

 この神社は大糸線・北大町駅と信濃大町駅の中間位、国道147号線のかまど神社前信号西に鎮座しています。裏側が西公園や図書館の敷地になっていて、とても綺麗に整備されています。ここの参道には大きな枝垂れ桜の木があり、お花見の時期には市民の憩いの場となっている様です。
 その綺麗に整備された参道を入ると、朱の両部鳥居が建ち、神橋を渡ると境内です。かなり広い境内の周囲は主として杉の森となっており、市街地にもかかわらず見上げるような古木が聳え立っています。境内奥には大きな拝殿と優雅な流造の本殿が建ち、その右側には別宮・仁科天満宮が鎮座し、受験生の願いを優しく聞き入れているのでしょう。又、珍しいのは境内社に相撲神社が有ることで、随分沢山の神社巡りをしてきましたが、相撲神社は奈良県桜井市の「相撲発祥の地」に鎮座する相撲神社とここの2社のみです。それだけこの地で相撲が盛んであるという証拠なのでしょう。
 案内板には「御祭神:軻遇突智命、奥津彦命、奥津姫命
 由緒:当社は鎌倉時代後期、仁科氏が天正寺の地に居城を構えた時、その北東(鬼門)の方向に創祀され、荒神様と呼ばれ親しまれてきた三宝荒神社である。仁科氏滅亡後は北原町住民によって護られ、明治になって王子神社と共に大町の産土神とされる。明治の始めに竈神社と改称した。例祭に催される奉納相撲は由緒深く、安政年間において相撲土俵免許状を有するは信濃国内では当社と更埴八幡の武水分神社のみとされ、現在も奉納花火と共に例祭神事として盛大に催されている。(抜粋)」とあります。

社号標 神社入口
境内入口の石の神橋 社殿前から入口を振り返る
拝殿 本殿
別宮・仁科天満宮
創建は不詳ですが、始めは弾誓寺付近に京都北野天満宮より勧請され、
明治37年、神社合祀令により竈神社境内に別宮として遷座されました。
別宮・仁科天満宮社殿 天満宮に因んだ「筆塚」二基
境内社・相撲神社 相撲場
境内社・飯綱神社社号標 境内社・飯綱神社
境内の様子とご神木