矢本八幡宮

長野市戸隠祖山1752-イ(平成19年9月23日)

 この神社は長野市街地から国道406号線で戸隠橋を渡り、古宮バス停から山側に入り約900mで右側に鎮座しています。高台に建つ社からは戸隠祖山の山並みが良く見え、向拝のない拝殿・重厚な本殿は昔は茅葺き屋根のような造りでした。本殿の木鼻狛犬は端正な良い造りです。

 この社は旧村社で御祭神は誉田別命ですが、勧請年月・縁起・沿革等は全て不明です。例祭日は5月5日、10月10日のようです。
 矢本八幡宮にも鬼女紅葉に纏わる伝説が残されています。それは「平維茂は鬼女紅葉を討伐すべく戸隠に到着したものの、討つ相手の紅葉がどこに居るか分かりませんでした。そこで矢本八幡宮から矢を放って方角を占い、落ちた所が柵(戸隠栃原字西之矢にある旧矢先八幡)神社で、ようやく紅葉の居場所が判り退治することが出来たのです。」というものです。
 鬼女紅葉に纏わる伝説とは能・謡曲「紅葉狩」のもととなった話で、清和天皇(866)のころ応天門ノ変の罪を押し付けられた伴大納言善男は伊豆に流されました。その子孫の伴笹丸と妻は麻利支天(飯綱様)に祈って呉葉という女の子を授かります。利発で美しいこの子は先祖の家名再興のために京に登り、名を紅葉とかえ、源径基の愛を受け子を身ごもります。けれど正妻を呪いころそうとしたことから戸隠・水無瀬の里に流されます。村人は紅葉を匿い、紅葉は京文化を村人に伝えました。しかし落人や盗賊たちにそそのかされた紅葉は、荒倉山に拠点を構えて盗賊集団のリーダーとなってしまいますが、けっして水無瀬には危害を加えなかったといいます。朝廷は平維茂を信濃守に任じて、鬼女紅葉の討伐を命じました。維茂は陣馬平に布陣し、矢本八幡宮から柵神社(矢先八幡)に向け矢を射たのち、柵橋を渡ってついに紅葉を討ち取ります。紅葉と一味の墓は柵神社のそばの鬼ノ塚だといわれています。

神社入口 境内の様子
昭和34年生まれの子取り、玉取のしょうわ狛犬
(昭和34年(1959)11月28日建立)
向拝のない拝殿
重厚な本殿
本殿の木鼻狛犬
馬頭観世音等の石碑
末社群
豊かな鎮守の杜 燈籠と周囲の山並み
戸隠祖山の山並み