戸隠神社中社

長野市戸隠3506(平成19年9月23日)

 この神社は信越本線・黒姫駅から36号線で西に向かい、約14km位走ると奥社が鎮座し、そこから更に2.2kmほど進むと左側に鎮座しています。この日は、「戸隠蕎麦祭」が中社境内にて執り行われており、思っても見ないほどの人だかりがしていました。この社には「八百比丘伝説」が伝承される三本の大杉が聳えており、昭和31年建立の入母屋造の社殿は大きく荘厳な感じがします。境内に狛犬が3対、神殿狛犬が1対と狛犬ファンも楽しめます。

 御祭神:天八意思兼命
 例祭日:1月2日・歳旦祭・講社祭、2月節分前日・古札焚上祭、2月節分の日・追儺祭、2月11日・紀元祭、4月25日・月並祭、5月1日・6日・8日・10日・月並祭、5月14日・祈年祭、6月1日・月並祭、6月中の巳の日・種池祭、6月30日・大祓式、7月1日・月並祭、7月9日・宣澄鎮魂祭、8月1日・月並祭、8月14日・例祭、9月1日・月並祭、9月10日・末社祭、10月1日・月並祭、11月3日・明治祭、11月22日・新嘗祭、12月23日・天長祭、12月30日・大祓式・除夜祭
 由緒:人皇第73代堀河天皇の寛治元年(1087)に時の別当が「当山は三院たるべし」という夢告を受け、奥社から宝光社との中間地点に分祀し奉斎されました。
 神話に名高い天照大神が御弟神須佐之男命の度重なる非行に天岩戸にお隠れになった時岩戸神楽(現在の太々神楽)を創案し万民をして生業に安んぜしめたという知恵の深い神で学業成熟、家内安全、営業隆昌開運守護の外諸々の災難をはらう神として国民の弥栄の上に高大なる御神徳を恵み給う大神様です。

石段下、建立年代不明の招魂社系狛犬
ご神木・三本杉
中社には鳥居を囲むように正三角形状に三本の大杉が聳えています。その三角形の一辺は、およそ72m。この三本の杉には「八百比丘伝説」があります。
それは、「昔、若狭の国の漁師が人魚を捕らえその肉を家に持ってかえり、家の中に隠しておきました。翌日、漁師が漁をしている間、留守番をしていた三人の子供が人魚の肉を見つけ、空腹に耐えかね その肉を煮て食べてしまいました。漁師が漁を終えて家に帰ってくると、昨日、確かに隠しておいた肉が見つかりません。漁師は慌ておののきましたがもう後の祭り、そのうち子供たちには次から 次へと体にウロコが生えるという異変が現れてきました。漁師はなすすべもなく、眠れない日々を過ごしましたが、そんなある日、漁師が一瞬まどろんだ時に「漁師よ、剃髪して出家せよ。そして戸隠大権現に詣で、子供を救うため、忠誠 を誓うため、三本の杉をうえよ。そして、戸隠三社の御庭草を八百日踏んで、無益の殺生の後悔を真摯に神に祈れ。」とのお告げがありました。漁師は、お告げの通り剃髪をし、子供と妻の位牌を身につけ戸隠大権現へ赴き、名前も「八百比丘」と改めて、現世の減罪と永代の繁栄を祈りつつ、正三角形に三本の杉を植え、三社の御庭草を八百日踏んで、八百比丘の名を残しました。」というものだそうです。
神楽殿 境内入口
境内入口、建立年代不明の狛犬
阿は角を、吽は宝珠を付けています。潰れ気味の顔で小さな垂れ耳、鬣や尾は滑らかな曲線で描かれており、尾は大きな三つの渦巻きが背に張り付いています。真っすぐに伸びた前脚が素朴さを醸し出しています。
狛犬の拡大写真はこちらで
荘厳な拝殿 社殿内からは境内に流れ落ちる滝が、一幅の絵のように優雅に望めます。
拝殿天井絵・龍の墨絵
朱色の顔と身体、漆黒の鬣と尾、要所要所に使われた金色が煌びやかさを演出している神殿狛犬
境内社・日吉社
中社五斉神社入口
諏訪社 天神社
戸隠山顕光寺における天台・真言の法論の最中、応仁2年(1468)に暗殺された天台宗大先遍、宣澄阿闇梨を祀る、宣澄社里宮


冬の戸隠神社中社   (平成14年12月15日)

毎年初滑りは戸隠スキー場です。夫は早朝に30分もかけて、
難儀な雪道を宿坊から歩いて参拝に行っています。
物好き此処に極めたり!!
神社入口、素木の明神鳥居  雪で難儀した階段の参道
雪中の社殿
これも又、趣があって大変結構です。
社殿内部
雪を纏った狛犬達。どんなお顔か皆目検討がつきません。