鬼無里神社

長野市鬼無里町274-イ(平成19年9月23日)

 この神社は長野市街地から国道406号線で鬼無里へ向かい、鬼無里信号を右折。100m程で左にはいると、すぐ右側道路角に鎮座しています。入口の両部鳥居を潜り、数十段の石段を上がると、境内正面には唐破風付きの立派な拝殿が建っており、市指定文化財となっている一間社流造の本殿(江戸中期建立) は厳重に鞘堂に納められています。拝殿前には出雲尻上がりながらライオン顔の狛犬が居り、「神威輝八紘」の碑の上には「お手」狛犬が乗っています。

 御祭神:建御名方命、相殿:八坂刀売命、素盞嗚尊、大物主命
 例祭日:春祭り・5月3日、祗園祭り・7月15日 〜 20日
 由緒:創建は不詳ですが、奈良時代の末期と考えられています。
 往時は北国街道要衝の地に鎮座し、武将の崇敬特に厚く、延暦16年(758)坂上田村麿将軍が東夷征伐に際し祈願し、平定後、百尺の喬木を寄進し、社殿を造営したので世に一本宮として宣伝されました。又、安和2年(969)平惟茂が戸隠山系荒倉山に棲む鬼女討伐のため祈願し、本望を遂げられたので社殿改修などを行い、村名を水無瀬村から鬼無里村へと改称させたという由緒があります。
 又木曽義仲挙兵にあたって祈願を込め鳥居の造営・武具を奉納し、武田信玄は車輌を奉納しています。
 慶長9年(1604)当時の城代家老・大久保長安が社領を寄進、元和8年(1622)松代城主・真田信之が参拝、高張や幔幕を寄進、その後も社殿焼失に際して建築材の寄進などもありました。
 安政2年(1855)には正一位の神階を賜り、明治6年には村社に、昭和3年には郷社に昇格しました。
 又、明治40年には金比羅社を合併しました。
 この社の祭礼は殊の外盛大らしく、5月3日の春祭りには獅子2台、紅白の幕や五色の吹流しで飾られた屋台1台(安政4年(1857)制作)、神楽2台の練り歩きがあり、花火大会なども行われ、7月15日 〜 20日の鬼無里の祗園祭りには大々神楽が奉納されるようです。

神社入口 社号標
「郷社 鬼無里神社」
入口左脇の庚申塔
境内の様子
昭和3年生まれの尻上がり狛犬
ポーズは出雲ですが、全体の印象は長野によく見られるライオンタイプです。台座からはみ出るようにつま先立ちの後足が作られています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和3年(1928)11月建立)
拝殿 拝殿に架かる社額
精緻な双龍が睨み合っています。
本殿鞘堂 境内社・金比羅社
「神威輝八紘」の碑の上に乗っている「お手」狛犬
(大正15年(1926)8月25日建立)
道祖神 境内と道路を隔てて建つ神楽殿