加茂神社

長野市鬼無里東京二篠14232(平成19年9月23日)

 この神社は裾花川左岸の鬼無里東京に鎮座しています。天武天皇の遷都計画を知った鬼が、一夜で山を築いて妨害した…という伝説が残る一夜山南西麓の豊かな杜の中に、ひっそりと、されど雅な佇まいを感じさせながら、訪れる者を遥か悠久の世界へと誘ってくれます。

 御祭神:別雷命、健御名方命、天思兼命
 例祭日:4月最終日曜日
 由緒:この社は東京集落の産土神であり、三種類の創建伝承があります。
 先ず一つは、日本武尊が白鹿を撃ち、その矢を奉納して加茂大神を祀ったのが始まりというものです。
 二番目には、白鳳時代(645〜710)天武天皇が遷都を計画し、白鳳13年(685)に三野王、小錦下釆女臣筑羅等を信濃に遣わしました。鬼無里に赴いた一行は、裾花川畔に使者館を設けて東京(ひがしきょう)と定め、加茂神社を勧請し、馬繋ぎ場所に三の字を刻んだ大石を置き、対岸を西京(にしきょう)と定め、ここには春日神社を祀りました。さらに鬼門の守護神として日影に猿田彦命を祭神とする白髯神社を鎮座したという伝承が語り継がれています。
 又更に時代が下って、清和天皇の貞観7年(865)都を追われた紅葉が、京都の賀茂神社を偲んで建てたものともいわれています。
 何れにしろ、今でもかなりの山間の村という感じのこの地は、古代には結構重要視されており、古くから人々が遷り住んでいた…という事なのでしょうか?
 一間社流造の本殿は延享期(1744〜48) の建造で、市指定重要文化財となっています。
 鬼無里村は、古くは一帯が大きな湖だったという伝説があり水無瀬といわれていました。天武天皇のころには信濃に遷都計画があったことが「日本書記」に見られ、天皇の使者が西京や東京を命名し、加茂神社や春日神社など都にちなんだ神社が建立されたと伝えられます。村の中央にそびえる一夜山には、その遷都計画を知った鬼が一夜で山を築いて妨害したという話が残っています。水無瀬が鬼無里になったのは、平惟茂が戸隠山系荒倉山に棲む鬼女の討伐を行い、鬼が退治されて平穏な里になったので村名を水無瀬村から鬼無里村へと改称させたと伝わっています。

神社入口
社号標「村社 加茂神社」 道祖神、庚申塔、二十三夜塔
昭和8年生まれの狛犬
阿は子狛が玉を持ち、吽は大きな手毬を突いています。厳つい顔つきでふくよかな体、鬣、尾などのウエーブや渦巻きが装飾的です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和8年(1933)7月建立)
拝殿
拝殿内の様子

本殿鞘堂 神楽殿
ご神木 境内の様子
拝殿前から入口を振り返る