深志神社

松本市深志3(平成17年5月15日)

この神社は松本駅から東に伸びる大通りを深志3丁目交差点で右折、一方通行の道を120m程走ったら今度は左側への一方通行の道に入りると突き当りに社叢と鳥居が見え、その鳥居の右側を入ると駐車場に入ることが出来ます。ここは暦応2年(1339)信濃国司小笠原信濃守貞宗公が建御名方命を奉祭し、宮村宮と称して創建したと伝えられています。その後信濃守護職小笠原長基公が京都・北野天満宮より菅原道真公を奉斎し、お城の守護神として松本城歴代城主の深い尊崇を受けてきました。また一般人には江戸時代から南深志の総鎮守として人々の崇敬を受けてきました。例祭の八坂祭は、昔この地方に疫病が流行した時、八坂大神・須佐之男命を奉祭したことから始まり、宵祭には五色の紙で幟を作り神前に奉納して無病息災を祈願しています。その後江戸後期、天保12年(1841)に深志神社と改称しました。この神社の本殿は二棟並んでおり、どちらが諏訪社でどちらが天満宮か分からなかったので神社の方にお聞きしたところ、ご丁寧にも権禰宜の小林様から2002年1月「菅公御正忌壱千壱百年大祭」の記念に出版されたご本をいただいたり、社殿、境内社、狛犬について説明をしていただいたりと大変お世話になりました。謹んでお礼を申し上げたいと思います。小林様、お若い神社関係の方、その節は本当にありがとうございました。詳しい由緒、御祭神は拡大写真でどうぞ。

この狛犬の台座には石工・山本 伊代吉再造之  明治32年4月25日と彫ってあったので、私はてっきりこの年に先代さんを模してこの狛犬を造ったのだと思いましたが、小林さんのお話では「この年は菅公御正忌壱千年の年にあたり境内の整備で狛犬を現在地に移し、狛犬そのものには手は加えていないのでもっと時代は遡るでしょう」との事。私が「あの感じは江戸中期あたりだと思うのですが」と申し上げたら「以前この狛犬を調べた方もそうおっしゃっていましたよ」・・・私も少しは狛犬のことが分かってきたのかしら?と嬉しくなりました。

(刻者・有賀 新作、小池 福太郎  昭和3年6月25日建立)

神社入り口

境内から入り口を振り返る

手水舎

境内の様子

舞屋を入り口側から

舞屋を社殿側から

拝殿

拝殿内の様子

拝殿前の狛犬。面長で人の顔のように見えます。

豪華絢爛たる本殿二棟。中央が諏訪社、右が天満宮。左は八坂神社。

境内社・金山神社入り口

金山神社拝殿と本殿

金山神社内部の様子

境内社・松尾神社入り口

松尾神社社殿

境内社・三十四末社

由緒と狛犬の拡大写真はこちらで