小諸市八幡町1-7 (令和2年8月9日)
東経138度26分06.03秒、北緯36度19分21.64秒に鎮座。
この神社は、しなの鉄道・小諸駅の東1km程の辺り、八幡町の街中に鎮座しております。
御祭神 譽田別命・神功皇后
由緒
神社というもののルーツは、「神」の御霊の依代・盤座・神座として、社(やしろ)や宮(みや)や祠(ほこら)を、その土地に住む人々が建立し、尊い場所として境界線を引き、俗世界と隔絶したことが始まりと考えられますが、当氏子区域に鎮座する神社も、その原形は、その土地の守り神、産土の神様であり、と同時に、その土地を開拓した氏子の皆々様の遠き御親、先祖神であったことは想像に難くありません。
産土神社の本当の由緒とは、まさにこの事に尽きるのです。八幡宮は、仁明天皇第五皇子本康親王(滋野親王)が牧監として御牧に在任中、当宮を北御牧下城に建立、その後ここに在城した望月三郎重俊が親王の意志を継ぎ、これを崇敬しました。
慶長十三年(1608)、初代小諸藩主仙石秀久は、自らこれを現在地に奉遷し、小諸城の守護神としました。以後代々の藩主がこれを祭り、開拓の神、子育ての神としました。
尚、当宮で催される「八朔相撲」は、小諸市屈指の伝統行事となっています。
当氏子区域の産土神社と鎮守の杜が、いつまでも皆様に尊ばれ、愛され、親しまれる神聖な場所、心の拠り所、かけがえのない財産でありますことを心よりお祈り申し上げます。
長野県神社庁公式サイト より。
参道入口
参道
参道左右の犬。拡大写真はこちら。 | |
(大東亜戦争大詔奉戴必勝ヲ祈願ス 昭和16年(1941)12月8日建立) |
手水舎
拝殿
拝殿内部
本殿覆屋
石祠 | |
道祖神