大御食(おおみけ)神社

駒ヶ根市赤穂11475(平成23年4月30日)

東経137度57分3.97秒、北緯35度43分11.56秒に鎮座。

 この神社は小町屋駅の東南東約1.2kmに鎮座しています。この社は道路沿いに大きな杉主体の鎮守の杜が目印で、入口には「美女ヶ森 大御食神社」の社号標が立っていますが、応神天皇の御世に神霊の御告げにより、熱田から草薙の剣の霊代と、美女社の宮簀姫とを迎えて、地名を美女ヶ森と呼んだのだといわれています。
 参道右手には樹齢千百年を経ている御神木御蔭杉が聳え、境内にも杉の木が林立しています。千鳥破風唐破風付き入母屋造りの拝殿が豪壮で、神饌殿や透かし塀で囲まれた中に建つ立川流の宮大工さんが建立された本殿は、随所に素晴らしい彫刻が見られます。
 二木社等の境内社も拝殿兼鞘堂内にきちんと祀られ、由緒正しき大神社に相応しい落ち着いた雰囲気の素敵な神社でした。

 御祭神:日本武尊、五郎姫、誉田別命
 祭礼日:9月第三土・日曜日
 境内社:二木社他多数
 由緒:本神社は 社暦の古くして由緒正しき故をもって 明治5年郷社に昇格され更に昭和42年から神社本庁より献幣使参向指定神社となりました。
 社宝「神代文字社伝記」
 景行天皇41年(112)日本武尊が赤須の里に駐連遊ばされたを発端とし村上天皇の天暦5年(951)に至る。およそ840年間の本神社の社歴および関連事項が記録されている日本唯一の神代文字社伝記である。
(境内「美女ヶ森大御食神社の由来」より)

上古の時代 建御名方命が国造りの時 奇杉なりと愛で給い、景行天皇41年 倭武尊東征の帰路、赤須彦この杉の大樹の元仮宮を設けて尊を迎え酒餞を饗せし時尊大に悦ばれ、この杉の樹陰清々しく 弥栄えて丈高く奇杉なりと愛で給いぬ。以来この杉を御蔭杉 と称せしと神代文字 社伝記に記しあり。
 徳天皇斉衛三年五月御蔭杉 枯れたりしため同天皇天安二年春 上下伊那より氏子百数十人により杉の植継行われ七日七夜歌い舞の宴を張り大祭を行いしと伝えられる。
 在の御神木御蔭杉はその時植えられたもので樹齢千百年を経ている。
(「全国神社名鑑」より)

社頭
神社入り口
社号標
入口に立つ明神鳥居
石段参道
石碑 社務所
石段参道

御神木「御陰杉」
境内入口
境内の様子

拝殿
神饌殿
本殿
本殿木鼻と目貫彫刻
本殿手挟と蝦虹梁
本殿左右妻と背面長押上彫刻
合社
合社に架かる額「天神地祇」と「祭礼」図額
合社内の各境内社
境内社・二木社拝殿と額
二木社本殿と左右脇社
神楽殿