青龍神社

北佐久郡御代田町塩野142(平成18年9月3日)

 この神社は厄除観音として知られる真楽寺の境内に鎮座しています。此のお寺には諏訪明神出現の池・大沼があり、その池の畔の小さな祠が青龍神社なのです。
 立派な案内には、「昔、この地には甲賀氏という豪族がおり、甲賀太郎、次郎、三郎の三人の兄弟がおりました。末弟の三郎は武勇に優れた頼もしい若者であったので、父は病の床に三兄弟を呼び、自分の死後は三郎にこの家を継がせると言い、兄たちには弟を助けて家を守るようにと言い残しました。ところが兄たちは三郎を憎み、何とか亡き者にせんと考えていました。そこで、ある時三郎を誘って蓼科山に登り、紫煙のかすかに立ちのぼる深い穴のほとりに三郎を導いて、「穴の底には甲賀家の宝物があるので家督を継ぐものとして取ってくるべきだ。」と偽って三郎を藤蔓にのせて穴の中に降ろしました。二人は頃合いを見はからって綱を切ったので、三郎は地底深く落ちてしまいました。正気を取り戻した三郎が地下の世界をさまよい歩いていると、向こうに明るい場所が有り、子供たちの声が聴こえるので懐かしい地上へ頭を出しました。そこは浅間山の麓、真楽寺の大沼池のほとりでした。ところが自分を見た子供たちの驚きおののく様子に、三郎は池の水に自分の姿を映してみて自分でも驚きました。いつの間にか自分の姿が龍になっているではないですか。むなしくこの池に住んでいた三郎龍も蛇体がどんどん大きくなり、双子池に行き、そこでも手狭になり、山を越えた諏訪湖で諏訪大明神となり諏訪湖の湖底に眠っています。年に一度のおみ渡りは三郎龍の寝返りのせいだとか…。」とあります。
 その後の甲賀家の行く末は何処にも書いてありませんが、どうなったのか興味が湧きますね〜。でも諏訪の神様は建御名方命。甲賀三郎と建御名方命との関係はどう考えたらいいのでしょうか?
 毎年7月の最終土曜日にはこの伝説を元に、御代田町において「龍神祭り」が行われ、3代目の「龍」は何と長さ45メートル、日本一の「龍」となり、長野パラリンピックの閉会式でも、場内を一周して更に有名になりました。この祭りはまず伝説発祥の地、真楽寺で「龍」の開眼式が行われ、龍神の舞を披露したあと、御代田駅前等の会場で最高の盛り上がりをみせるのだそうです。

真楽寺(青龍神社)入口の
今は使われていない神橋
真楽寺山門
藁葺きの重厚な屋根が良い感じです。
真楽寺境内右側の
「諏訪明神
伝説 甲賀三郎
出現の池」の看板
青龍大権現 お龍神さま
社殿
この杉林の向こうが
諏訪明神出現の大沼の池です
諏訪明神出現の大沼の池
池から上半身を覘かせている青龍 池の中には
宝塔が置かれています