熊野皇大神社

北佐久郡軽井沢町峠町9 (平成18年9月3日)
碓氷郡松井田町峠

 この神社は軽井沢から133号線で碓氷峠に向かうと峠の頂上にほど近い道路左側に鎮座しています。「三熊野」と総称される「熊野三山(熊野速玉大社、熊野本宮大社、熊野那智大社)」 「熊野神社(山形県南陽市)」と並ぶ熊野信仰を代表する神社の内の一社です。
 又、本宮社殿が県境にあるユニークな神社で、そのため、長野では「熊野皇大神社」、群馬では「熊野神社」と違った名前を持っていますが、地元の人々は、古くから「碓氷の権現様」と親しみを込めて呼んでいます。
 案内には「日本武尊が東国平定の帰路に碓氷峠にて霧にまかれた時、八咫烏の道案内により無事嶺に達することが出来、ここに熊野の大神を祀ったと伝えられています。
 碓氷嶺に立った尊は雲海より海を連想され、走水で入水された弟橘比売命を偲ばれて、「吾嬬者耶」と嘆かれました。(日本書紀より)
 鎌倉時代には武士団から篤い崇敬を受け、江戸時代には諸大名を始め、多くの人々が中山道を行き来しました。関東の西端に位置し、西方浄土、二世安楽、道中安全を叶える山岳聖地として、権現信仰が最も盛んとなりました。
 「碓氷峠の権現様は主の為には守り神」と旅人に唄われ、追分節の元唄となって熊野信仰が全国に伝わっていきました。」とあります。
 ここは海抜1200mの旧碓氷峠頂上に鎮座し、景行天皇の40年(110)日本武尊の勧請と伝えられる古社で、「長倉山今熊権現」「熊野権現」などと呼ばれていましたが明治30年、現社号に改称しました。例祭日は1月6日(御田遊神事) 5月15日(春の例祭・碓氷太々神楽七座) 10月15日 (秋の例祭・碓氷太々神楽七座)で、毎年5月には日本最古の安政の遠足(とおあし)が行われています。
 旧軽井沢から旧碓氷峠に向かう道路は、その昔イギリス人が好んだ軽井沢の雰囲気がそのまま残っていて、とても静かで綺麗な豊かな自然に包まれた素敵な場所でした。

 

神社入口前の茶店にも
県境の案内があります
社号標
左、熊野皇大神社・長野県鎮座
右、碓氷権現・熊野神社
とあります
 
神社入口には
灯籠としょうわ狛犬
参道の石畳中央にもこんな案内が…
室町時代中期建立の狛犬です。私達が見てきた石造りの狛犬としては3番目に古い狛犬です。
縦置きで胴長、阿は上下に潰れた顔をかなり曲げた状態で、耳まで開いた大口、
顎の下に数本の線で髭が表現され、肋骨までついています。
鬣は口の脇から、右側は短いちょろちょろ毛が十数本線書きされ、左は垂れた渦巻き状になっています。
まるでオオサンショウウオに少し長めの前脚を付けた様な感じです。
吽は殆ど正面向きで、顔はやはり線書きですが、ノッペリした扁平顔に眠そうな目鼻が書き込んであります。
やはり顎髭というか首に皺のような物が数本あり、短いストレートの鬣と肩の当たりに大きな渦巻きが見られます。
尾は腰に張り付いた短いタイプで毛が線書きされています。


(室町時代中期
(室町時代が1338〜1573なので、
中期は1400年代半ば頃)建立)
境内への階段 境内から振り返る


追分節に
「碓氷峠の あの風車 たれを待つやら くるくるまわる」
とある石の風車です。
昭和17年という戦争たけなわの時期に建立された狛犬。
(昭和17年5月建立)
神門 樹齢800年の御神木・シナノキ
左側から、長野県側に鎮座「那智宮」(祭神:事解男命)
県境に鎮座「本宮」(祭神:伊邪那美命・日本武尊)
群馬県側に鎮座「新宮」(祭神:速玉男命)の三社殿
素木造の落ち着いたもので、本殿の前に妻入りの拝殿が建つ
江戸時代末期の建築様式を残す社殿です。
長野県側に鎮座する「那智宮」(祭神:事解男命)拝殿と本殿
本殿は一間社隅木入春日造、弘化二年(1845)の棟札があります。
拝殿は切妻造妻入、寛政八年(1796)の棟札があります。
那智宮本殿の木鼻狛犬
県境に鎮座する「本宮」(祭神:伊邪那美命・日本武尊)拝殿と本殿後側
本殿は一間社隅木入春日造、弘化三年(1846)の棟札があります。
拝殿は切妻造妻入で江戸時代末期の建築です。
群馬県側に鎮座する「新宮」(祭神:速玉男命)拝殿と本殿
拝殿内には群馬県最古の釣り鐘が奉納されています。
社務所も落ち着いた造りです 神楽殿
左脇殿 右脇殿
末社群 境内社・稲荷神社
南北朝時代建立の多重塔と末社二社 伊達政宗の発句
「夏木立 花は薄井の峠かな」
ここは「日本書紀」に日本武尊が今は亡き弟橘比売命を偲び、三度もため息をつき、
「あづまはや(ああ、我が妻よ!)」と、嘆いたという地なのだそうです。
狛犬の拡大写真はこちらで