小川神社

上水内郡小川村小根山6862 (令和3年8月5日)

この神社は、小川村役場の西2.5km程の辺り、小根山の街中に鎮座しております。

御祭神 健御名方命

由緒
当社の史料初見は、延喜式神名帳に信濃国48社中小川神社とあり、創建創祀は西暦900年代に遡る。
社伝旧記は、明和年中(1764〜1771)社殿流失、昭和8年(1933)社家の火災により古文書焼失し、詳細不詳であるが、口伝伝承によれば出雲國譲りの後、健御名方命が諏訪湖に向う道程中、当地に滞留された故事に依り社を創建したと伝う。当地方の開祖は、第26代継体天皇の後裔小川真人と伝わることから、地名の由縁とされる。
真人後裔等は、社に家祖継体天皇(男大迹王)を合祀して、諏訪大明神と称し近郷民の尊崇を集めた。
平安時代より、荘園小川庄として各々の家門に属し文安(1444〜1448)中まで経営され、南北朝の乱に連座敗退した三河の小河氏は、当地に配流され古山城を根拠に勢力を保った。
天文年間(1532〜1554)に至り小河氏は、村上氏の意に服さず、牧之島城主香坂氏の猶子小笠原長利に討伐され、長利は戦功により古山城主となり、以後大日方長利と称す。甲州越後両雄、川中島決戦の際、大日方一党は武田軍旗下として決起し、現鎮座地大宮に祈願所を設け、戦勝を祈願して出陣した。後に現在地を下社、宮平を上社とと尊崇されるも、明治(1868〜1911)の御代に宮平上社の地に学校が建設される事と成り、上社を合祀して現在地の小川神社に至り、北信地方最大規模の御柱大祭を開催する神社として、内外に御神徳を崇められている。
御本殿は、享保14年(1729)造営で村指定文化財である。幣殿・拝殿は昭和31年(1956)新築造営された。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

参道

二の鳥居

境内

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋


御射山神社