矢彦神社

上伊那郡辰野町飛び地 (平成17年4月29日)

この神社は国道153号・旧三州街道沿いの、塩尻市と辰野町飛び地の境に小野神社と並んで鎮座する信濃の国二之宮・上伊那54ヶ村の総鎮守です。この変則的な地割りは1591年に松本藩と飯田藩の藩境争いを豊臣秀吉が裁定した折小野地区を南・北両小野村に二分し、神社も小野神社は北小野、矢彦神社は南小野に属することにした為です。現在では両社域併せて36000平方米の社叢が全て県の天然記念物に指定され、古代からの天然林が往古そのままの姿で残っています。御祭神は主祭神で正殿には大己貴命・事代主命、副殿には建御名方命・八坂刀賣命、南殿には天香語山命・熟穂屋姫命、北殿には神倭磐余彦天皇・誉田別天皇が祀られています。由緒書きには創建は遠い神代の昔、大己貴命の国造りの神業にいそしまれた折り、御子の事代主命と建御名方命を従えて、この地にお寄りになったと伝えられている。欽明天皇の御代に、大己貴命と事代主命を正殿に、建御名方命と八坂刀賣命を副殿に祀り、例祭日を毎年八朔(旧八月つ いたち)と定めたのが始まりとあります。その後白鳳2年(674)天武天皇の時代正遷宮祭と御柱祭が七年ごとの式年祭と定められ、安徳天皇の御代には木曽義仲が宮材を木曽山林から伐り出し、社殿を造営して以後七百年にわたり宮材は木曽山林から出材される事になり、鎌倉から徳川時代に至るまで、武田信玄・勝頼はじめ徳川幕府の崇敬厚く再三社殿が造営されました。この日はお隣の小野神社で木遣りコンクールが行われ、そちらは賑やかだったのですが、同じ境内でもこちらは殆ど人が訪れず、心ゆくまで古代そのままの雰囲気の境内、社叢を拝見させて頂きました。ただ御柱蔡が近いので本殿の前に垂れ幕と神世の絵が掲げられ本殿自身が拝見出来なかったのが残念です。

道路上の大鳥居

境内入口

神楽殿

神楽殿の木鼻狛犬

勅使殿

荘厳な拝殿

思慮深く如何にも優しそうな狛犬

(天保13年(1842)建立)

拝殿内の鬣を逆立てた狛犬のレリーフ

正殿、副殿、南殿、北殿、明治宮

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