七久里神社

飯田市山本3037-1(平成23年4月30日)

東経137度45分45秒、北緯35度28分18.66秒に鎮座。

 この神社は中央道・飯田山本ICの北900m、高速道路高架西に鎮座しています。参道入口には「村社七久里神社」社号標と一の鳥居、神社の入口までには三基の鳥居が建立されています。参道には小さな神橋が架かり、石段左右の杉並木を抜けると、石畳の参道奥に玉垣があり、境内には縦置きの可愛いはじめちゃんが見えています。境内右に社務所が配され、狛犬が護る妻入りの拝殿、流造の本殿左右には、境内社が祀られています。
 このはじめちゃんの存在を知ってから約10年…やっと間近に見えることが出来ました。建立から350年?位の歳月が経ち風化による磨耗は避けられませんが、極めて保存状態が良い狛犬です。やはりこういう狛犬を見ると癒されると共に、遠距離恋愛の恋人に会えたような新鮮な感動を覚えました。
 9月28日から10月4日までの間の土曜日に執り行われる「裸まつり」「大三国煙火」は、古く1280年頃から武田信玄の武運長久と五穀豊穣を祈願して、7集落より選ばれた若衆が一人ずつ裸身の腰に注連縄をまとい、勇ましい掛け声とともに練りこみ、大筒(三国)花火の下で注連縄を付けた桶を振り回して踊る姿は必見…だそうです。又、この祭りとは別に、6年に一度の御柱祭りも盛んで、境内には10m位はありそうな御柱が立っていました。

 御祭神:誉田別八幡神、相殿:建御名方諏訪神、建速素盞男津島神、末社:大国主出雲神、稚産蚕霊神、大山祇山神、大山咋日枝神、倉稲魂稲荷神
 祭礼日:歳旦祭・1月1日、祈念祭・4月15日、祇園祭・7月15日、風神祭・8月25日、例祭・10月3日、新嘗祭・11月23日、大祓祭・12月25日
 境内社:出雲社、愛宕神社、山神社、日枝神社、稲荷神社他
 由緒:本社の御鎮座は、長慶天皇の御代、天授2年(1376)といわれ、この年、後醍醐天皇の御子宗良親王(信濃宮)は、本社の御神前に幣を奉って、「七十路の鈴をたもつこれやこの七久里の社の恵なるらむ」とよまれ、民草の幸福と世の平和とをお祈りされた。また古記にのこされているものとして「後拾遺和歌集」の相模内侍の歌に「尽きもせす恋に涙をわかすかなこや七久里のいてゆなるらむ」とあり「堀川百首」の基俊朝臣は「いかなれは七久里の湯の湧くかこといつる泉の涼しかるらむ」と歌っている。また「二條天皇大后宮家集」「夫木集」あるいは「八雲御抄」「細石」等に載っているものは皆本社所在の霊地を詩歌したものである。慶長13年(1608)11月社殿を復興し、安永3年(1774)6月再興したことが、神座の銘に詳しい。本社は古より神徳顕著の故をもって代々武将領主の崇敬篤く、例祭に際しては領主松平家は天和元年(1681)より領主近藤家は貞享2年(1685)より共に金幣供進の儀があり、その祭事は最も崇厳を極めた。明治4年村社に列し、同40年勅令により神饌幣帛供進神社に指定され、同42年湯川八幡社を合併し、同44年城山稲荷神社を合祀した。


参道入口に立つ一の鳥居 社号標
「村社七久里神社」
参道の様子
参道途中に立つ二の鳥居
社頭
神社入り口に立つ三の鳥居
小さな神橋
参道の様子
石段参道脇の杉並木
境内入口
参道の様子
境内の様子
境内にいる建立年代不明のはじめタイプ狛犬
縦置きで阿吽の位置が反対です。方形の顔の奥に蛙のような造りの大きな目と、中央に皺が刻まれ小鼻が開いた鼻、整った平歯の間からチョコッと出ている可愛い牙、は虫類のような身体から二等辺三角形のように広がりを見せながら踏ん張っている前足、薄いお尻と後ろ足はぺたっと張り付いたように台座にくっついています。鬣は殆ど首の皺のように見え、尾は小さくお尻に張り付いています。はじめとしては大きめで進化していますが、何とも素朴で可愛い子達です。
狛犬の拡大写真はこちらで
社殿全景
拝殿
拝殿目貫上に居る優しい力士さん?
拝殿に掛かる額
「諏訪明神 正八幡 牛頭天王」
拝殿に掛かる額
「奈々久里神社」
拝殿内の様子
弊殿と本殿
本殿左脇の境内社入口
本殿左脇の境内社 本殿左脇の境内社
本殿右脇の境内社入口と境内社
境内社拝殿と本殿
御柱