白山社(里宮)

飯田市滝の沢6684(平成23年5月1日・平成23年9月11日再訪)

東経137度48分42.66秒、北緯35度31分16.43秒に鎮座。

 この神社は飯田西中学校の東約200m、滝の沢公園に隣接して鎮座しています。前回の参拝時には大雨で芳しい写真が撮れなかったので、今回再訪させていただきました。
 社地の前方には低い石垣が組まれ、社号標と鳥居が立つ入口から、参道が北西方向に作られています。鳥居を潜ると文政11年(1828)に建立された市指定文化財・三間楼門造の随神門が前方に建立されていますが、実に素晴らしい彫刻類が至る所に施されています。随神門の彫刻に堪能して参道を行くと、下の境内右には神池、絵馬堂、左には糸塚、薬師堂が配されています。
 風神祭の茅の輪を潜り石段を上がると上の境内で、正面に市指定文化財・享保18年(1733)に建立された入母屋造妻入り 桟瓦葺の拝殿、弊殿、本殿が建立され、左には境内社が二社と磐座、右には社務所が配され、社務所裏からは風越山(標高1535m)山頂に鎮座する白山社奥宮への参道口がありました。

 標高1535.1mの風越山は信仰の山として崇められ、神仏混淆の江戸時代まで白山社は白山妙理大権現を祀る白山寺でした。寛政2年(1790)に描かれた『白山寺寺領絵図』によると、現在の里宮の位置には、白山寺の本地堂・持仏堂・書院・庫裏・仁王門などが描かれ広大な塀で囲まれていました。ここから風越山山頂に至る参道には、峯薬師・山神・不動堂・松瀧権現・虚空蔵堂・八幡社・供所・休所・諏訪宮などの堂塔や堂祠が建っていました。明治時代の廃仏毀釈により山中の建物はほとんど破壊され、白山寺は白山社里宮と改められ、風越山山頂に奥宮が残されたようです。

 御祭神:伊弉諾命、菊理比売命・大己貴命
 祭礼日:節分祭・2月3日、風神祭・9月1日・湯立て神事 どぶろく祭・10月最終日曜日
 境内社:日枝神社、天満宮
 由緒:標高1535.1mの風越山は身近な秀峰であり古くから信仰の山として崇められてきました。白山寺歴代記によれば越前の三上泰澄禅師が養老2年風越山山頂に加賀の白山妙理大権現を勧請したと伝えられております。山頂の白山社奥宮本殿は永正6年当地の地頭坂西氏によって造営され、昭和9年国宝(旧法)に指定され、現在は国指定の重要文化財となっています。平成17年には奥宮の「平成大修理」が行われました。
 明治以前は神仏習合の白山寺として歴代藩主や土地の人々の信仰厚く山麓から山中に多くの堂宇がありましたが、明治初めの廃仏毀釈によりその数を減らし現在は白山社里宮として拝殿、随神門に当時の面影を偲ぶことができます。

社頭
参道入口
社号標と一の鳥居
参道の様子
市指定文化財・文政11年(1828)に建立された
総欅造、唐破風、三間楼門造の随神門
随神門の彫刻類拡大写真はこちらで
随神さん
下の境内参道の様子
下の境内に立つ二の鳥居
糸塚
神池
絵馬堂
下の境内左手に配された薬師堂
薬師堂内の様子
薬師堂左右の仏像
洗心殿 修行場の瀧
下の境内に立つ社号標
「懸社白山神社斎田之碑」
茅の輪と石段参道、上の境内入口
上の境内に立つ三の鳥居
上の境内の様子
市指定文化財・享保18年(1733)に建立された入母屋造妻入り 桟瓦葺の拝殿
白山社の神宮寺であった旧白山寺の護摩堂として建立され、
明治初年の神仏分離令にともない神社の拝殿に転用されたものです。
拝殿に掛かる額
弊殿
本殿
もともとは諏訪大社上社本宮の本殿を移築したといわれており、屋根には千木と鰹木が置かれた切妻造りで、周囲を瑞垣で囲っています。
神饌殿
磐座
境内社全景
境内社:日枝神社 境内社:天満宮
恵比須・大黒像
社務所
社務所の裏側、風越山(標高1535m)山頂に鎮座する白山社奥社への参道口
参道口に立つ鳥居に掛かる額「信州飯田風越山白山社」
白山社奥社への参道入口