愛宕稲荷神社
飯田市愛宕町2796(平成23年5月1日)
東経137度49分33.41秒、北緯35度30分35.09秒に鎮座。
この神社は扇町公園南の河岸段丘が半島状に東へ突きだした丘陵の上、古くは愛宕城という城が有った城郭跡に鎮座しています。
256号線から黒々とした大きな森が見え、入口の鳥居を潜ると、社殿前までに4基の鳥居が建立されています。境内に入ると、参道は左に社殿側面を見ながら、境内の端をグルッと左に回り込み、二の鳥居付近で東参道と合流します。この間、参道脇には推定樹齢:750年の飯田市内の桜の中ではもっとも古い清秀桜が聳え、又境内南東部には飯田藩の家老、安富氏より愛宕稲荷神社に献納された江戸彼岸桜の千代蔵桜も見られます。私達は時期が遅すぎてお花は見られませんでしたが、開花時期にはさぞや気持ちの良いお花見が出来るのでは?…と、想像できる素晴らしい枝振りの桜たちでした。
境内をグルッと回り込み四の鳥居を潜ると妻入切妻造の拝殿、その後ろに、一間社
流造 銅板葺で安政5年(1858)立川富重により造営された本殿が建立され、周囲には境内社や石碑が点在しています。
市の中心部にありながら、大樹に護られた境内に入ると全く騒音が聞こえず、気持ちの良い参拝が出来る神社でした。
御祭神:保食命、大宮能賣命、猿田彦命、火産霊命
祭礼日:不明
境内社:三峰神社、末廣神社、閣川堂、竹川神社、高砂神社、猿田彦大神、秋葉神社、皇親神社、津島神社、水神宮、水神宮、事代主大神・大国主大神、猿田彦大神
由緒:文治年間、飯坂城主坂西由政が崇敬する伏見稲荷大神を勧請し、知久町の南端に奉祀したので、古来「由政稲荷」と称えられたのが始まり。
文禄年間、飯田城主京極高知が城下の掛道を整理する際、飯坂城跡で当時愛宕山地蔵寺の境内であった当地へ奉遷した。その時から「愛宕稲荷神社」と称するようになった。
明治44年、境内に祀られていた愛宕社を合祀した。
(「長野県神社庁公式サイト」より)
社頭 |
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神社入り口 |
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入口に立つ一の明神鳥居 |
鳥居に掛かる額 |
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参道の様子
西参道入口の鳥居を潜ると、参道は左に社殿側面を見ながら、境内の端をグルッと左に回り込み、二の鳥居付近で東参道と合流します。 |
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境内の様子 |
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境内に立つ社号標 |
二の両部鳥居 |
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三の台輪鳥居 |
鳥居に掛かる額 |
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参道の様子 |
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四の明神鳥居 |
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拝殿前にいるお狐様 |
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妻入切妻造の拝殿 |
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拝殿内の様子と格子越しに見える本殿正面 |
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本殿
一間社 流造 銅板葺で安政5年(1858)立川富重により造営されました。 |
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神饌殿? |
社務所 |
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境内社:三峰神社 |
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境内社:末廣神社 |
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境内社:閣川堂 |
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境内社:竹川神社 |
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境内社:高砂神社 |
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境内社:猿田彦大神 |
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神変大菩薩 |
石碑 |
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境内社:秋葉神社 |
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境内社:皇親神社 |
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津島神社、水神宮、水神宮 |
事代主大神・大国主大神、猿田彦大神 |
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市天然記念物・清秀(せいしゅう)桜
推定樹齢:750年 目通り周囲:6m 樹高:8m
木の中心から木質部は腐食してしまい、内皮がわずかに残り生命を保っていますが、エドヒガンザクラとしては花の色が濃いことが特徴の一つであり、樹齢750年以上と飯田市内の桜の中では最も古く愛宕稲荷神社御神木として親しまれ大切にされています。 |
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千代蔵桜
推定樹齢:200年 目通り周囲:4.7m 樹高:15m
飯田藩の家老、安富氏より愛宕稲荷神社に献納された江戸彼岸桜で、知久町の黒田屋千代蔵氏によって境内の東方、飯田城を望む場所に植樹されたとの言伝えが残っています。 |
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石亭 |
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王竜寺川に架かる愛宕橋付近に東参道の入口があります。 |
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