神長官守矢資料館

茅野市宮川高部 (平成22年8月28日)

東経138度7分51.89秒、北緯35度59分32.48秒に鎮座。

史料館は守矢家の敷地内に建っており、鎌鎌倉時代より守矢家で伝えてきた守矢家文書を保管・公開する史料館として平成三年に公開されたということです。

守矢家について
今から千五・六百年の昔、大和朝廷の力が諏訪の地におよぶ以前からいた土着部族の族長で洩矢神と呼ばれ現在の守屋山を神の山としていた。しかし出雲より侵攻した建御名方命に天龍川の戦いに敗れ、建御名方命を諏訪明神として祭り、自らは筆頭神官つまり神長官となった。中央勢力に破れたものの祭祀の実験を握り、守屋山に座します神の声を聴いたり山から神を降ろしたりする力は守矢氏のみが、明治維新の時まで持ち続けた。この資料館はそうした守矢家が伝えてきた古文書などの歴史資料を七十八代守矢早苗氏より茅野市が寄託を受け地域の文化発展に資するため建設された。

御頭御社宮司総社境内より見る、資料館全景。

御頭祭の復元展示
諏訪大社の祭祀の中心をなすのが前宮で行われる御頭祭(現酉の祭)で春先神前に七十五頭の鹿をはじめ魚・鳥・獣の肉を山のように盛り上げ酒を献じ、かがり火に照らされながら神と人が一体になって饗宴を催をした。この展示は江戸時代中期の様子の一部で天明四年(1784)三月六日に御頭祭を見聞した菅江真澄のスケッチをもとに復元した。

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