武水別神社

千曲市八幡3012 (令和3年8月5日)

東経138度6分22.04秒、北緯36度30分58.92秒に鎮座。

【神社情報・Rumarin&Saiseiさんより】
県道77号線沿いで、340号線との交差点・八幡辻の北300メートルのところにあります。(八幡辻から大鳥居が見えます)
この神社は孝元天皇の時代(B、C.214〜158)の創建とのことです。延喜式内の名神大社であり、旧県社。
現在は神社本庁の別表神社となっています。いつの時代も篤く崇敬されている神社のようです。
境内は縦長で広く、大きく立派な拝殿と本殿が配され、特に本殿には多数の彫刻が施されていて見応えがあります。さらに本殿の横と裏には多数の摂末社が並び、明神大社の風格を感じさせます。拝殿はあるのですが、閉ざされた形になっていて、本殿が拝殿の機能を併せ持っています。一の鳥居を入ってすぐ左手には、摂社の高良社と、名物を販売している「うづらや」が並んでいます。狛犬さんは二の鳥居のところにいる一対だけのようです。
ちなみに本殿前に(狛犬の代理でしょうか?)狛犬に劣らぬ貫禄を見せつける、生きた「狛ねこ様」が佇んでおられました。

武水別(たけみずわけ)神社御由緒
主祭神 武水別大神 たけみずわけのおおかみ
相殿 誉田別命(ほんだわけのみこと)・息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)・比淘蜷_(ひめおおかみ)
御由緒
 社伝によると、武水別大神は第八代孝元天皇の御代に御鎮斎と伝えられており、善光寺平の五穀豊饒と千曲川の氾濫防止とを祈念して祀られました。十二月の大頭祭(新嘗祭)は、御神徳に対し氏子民が感謝の誠を捧げる、この地方最大の祭典であります。
 八幡三神は、安和年間に京都石清水八幡宮より勧請され、相殿に奉斎されました。誉田別命は応神天皇、息長足比売命は応神天皇の御母君の神功皇后のことであり、比淘蜷_とは田心姫・湍津姫・市杵嶋姫の三女神の総称で国家鎮護、航海・交通安全の守護神と仰がれております。
境内由緒書より。全文はこちら。

管理人の一言。
善光寺平の五穀豊饒と千曲川の氾濫防止とを祈念して祀られ・・・とあるように、千曲川の水神を祀ったのが始まりと思われます。

一の鳥居

神橋

参道

二の鳥居

拝殿

本殿


長野県宝
武水別神社摂社高良社本殿
 高良社本殿の創建及び沿革については、確かな記録はないが、建築様式からみて室町時代後期、十六世紀ごろに建てられたと考えられる。
 この建物は、一間社流造の系統に属するが、ふつうの流造に見られる周囲の廻縁や正面の階段は省略され 正面に小さな縁をつけるのみで いはゆる「見世棚造」に類似した形式となっている。
 主屋の桂上の組物は舟肘木を用い、軒も垂木を用いない板軒であるなど省略した形式であり、この建築の意匠に一種の軽快な趣を与えており、この時代の本県の神社建築のなかで特色ある存在となっている。
教育委員会。全文はこちら。

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神輿休処