治田(はるた)神社

千曲市桑原1 (令和3年8月5日)

東経138度05分19.26秒、北緯36度31分20.30秒に鎮座。

この神社は、JR篠ノ井線・姥捨駅の北3km程の辺り、桑原の薄い街中に鎮座しております。

御祭神 彦坐命・建御名方命・八坂刀売命・保食命

延喜式内社 治田神社 由緒
1、 治田山(篠山)の創建される
治田神社古記録のよると、今から千数百年前、彦坐命の子孫熊田氏は、功労により春田連の姓を賜り、近江国から移住し先住民と共にこの地を開拓し、治田山(篠山)に祖神、彦坐命を祀りこの地を管治した。
2、 延長5年(927)延喜式内社治田神社となる
開拓の御神徳と氏子住民の努力と成果が国に認められ、延喜式神社名帳に撰上され官社に遇せられる。
3、 治田山(篠山)から現在地に遷座される
中世の永享の乱(1438)以降、この地に奉遷されたのは、諏訪上社の祭り五月会を務めた地士桑原幸光の奉仕による。また、建御名方命を勧請し合祀された。
4、 天明2年(1782)本来の式内社治田神社に戻る
建御名方命の合祀以後、諏訪大明神と呼ばれた社名の変更をするため、社寺奉行に願いを出し、京都の吉田家の認可を受け式内社治田神社に復した。
5、 明治6年(1873)式内社郷社治田神社となる
長野県の一選抜で村社から郷社に昇格する。当時は近郷の、一の宮と称され人々から厚く信仰された。
6、 昭和28年(1953)宗教法人「治田神社」となる
26年制定の宗教法人法により、宗教法人「治田神社」として新しく設立された。そこには、本社は「彦坐命外参柱を奉斎する」と規定されている。
7、 現在の社殿
昭和46年11月、火災により社殿を焼失した。治田神社再建委員会発足後、同49年4月に氏子の浄財により再建された。
境内由緒書き より

神社遠景

鳥居

神額

境内

拝殿

拝殿内部

本殿


末社

石祠等

石碑等