安曇野市明科七貴(平成18年10月15日)
この神社は犀川と高瀬川の合流地点から北北西に約1.8km、押野山(標高695m)の南麓に鎮座しています。この神社の入口は非常に分かりづらく、地元の方しか正規の参道からは参拝できないでしょう。実は、私達も地図に書かれていた自動車道で境内脇まで行ってしまい、そこで正規ルートがあることに気づき、夫が正面入口まで降って撮影してきたのが下記写真です。山中の神社ですから木々は豊富で、特に杉の古木が目立つ豊かな森の中に神社は鎮座しているわけですが、それだけに山の傾斜地を切り開いて造成された境内は狭く、社殿は傾斜と平行して建てられています。神楽殿の裏は崖になっていました。けれど境内の木の間から眺める安曇野の風景は、アルプス連山をバックに穏やかな町並みが見え、最高の風景でした。境内脇からは押野山へのハイキングもできそうです。
鳥居に「式内村社 正八幡宮」とあるのは、伝承によると、式内社・川会神社が慶長時代の大洪水で社地共に流失し、わずかに残った丸い上石と共に八幡宮へ合殿されたという言い伝えが残っているためで、明治29年には「川会神社・正八幡宮合殿願書」を長野県知事宛に提出したことも有りましたが、これは証拠物件不十分で取り消し…という歴史上の産物でしょうか。とはいえ、押野の正八幡宮は勧請年は不詳ですが、古記録類にも度々登場する古社で、明治9年の「長野県町村誌」には「正八幡宮 村社 東西12間、南北36間、面積1反4畝18歩、本村の中央にあり、祭神:誉田別尊」とあります。明治40年には近隣の八坂神社(天王)、無格社の天狗社(赤林)、戸隠社(狐山)、稲荷社(中上野)、古峯社(白沢)、古峯社(碁石山)等を合併し、その祭神である素盞嗚尊、日本武尊、稲倉魂命、天手力雄命等を合祀しました。