諏訪神社

安曇野市穂高有明立足(平成18年10月14日)

 この神社は国道147号線の土場信号から西に入り、穂高川を渡り、立足信号を北に入ると約500mで左側に鎮座しています。とても清々しい感じの境内奥には立派な拝殿が建ち、右側に渡り廊下が続いていて、これまた大きく立派な神楽殿と結ばれています。
 旧村社で立足の産土神社ですが、案内に「諏訪神社:健御名方命、神明社:天照大神、八王子社、稲荷大明神、鎮開山大権現碑」とあります。安曇野市のHPには御祭神として健御名方命、天照大神だけが載っており、これは明治期に政府に遠慮した神社が天照大神を合祀し、後、多分戦後に八王子社、稲荷大明神は境内社として受け入れられ、鎮開山大権現碑はその左側に建つ碑なのではないかと思っています。
 立足の地は、耳塚の大塚神社でも書きましたが、その昔、八面大王を退治した坂上田村麻呂(758〜811)が、大王の復活を怖れ、遺体を切り刻んで、耳は有明の耳塚(大塚神社)へ、足は立足へ、首は松本の筑摩神社へ、胴体は大王神社(大王わさび農場内)という離れた場所に埋めた…という地元の人なら誰もが知っているらしい?有名な民話に出てくる曰く付きの地です。この八面大王については、相反した二説があり、その一つが前述したものですが、後の一説は、信州を中間拠点として東北侵略を企てた大和朝廷が、食料調達、苦役などで地元住民を苦しめ、それを阻止せんとして立ち上がった八面大王が、坂上田村麻呂軍と戦って敗れたという地元の勇者説です。私は断然、後説支持派です。常に勝利者は歴史を改ざんし、自分に都合の良い記述しか残しませんから…。

神社入口
拝殿 本殿
神楽殿 境内社
境内の様子