貞享(じょうきょう)義民神社

安曇野市美里中萱(平成18年10月14日)

 この神社は大糸線・中萱駅の西約700m、貞享義民記念館と共に314号線に面して鎮座しています。
 元々は貞享3年(1686)に起こった百姓一揆・貞享義民騒動で、極刑に処せられた元庄屋の多田加助の霊を弔うため、享保20年(1735)多田家の屋敷内に祠を建て加助を祀ったのが始まりですが、明治13年に自由民権の鑑であるとして倉地に遷座され、義民騒動の同志たち計十二柱の霊を合祀したのが、貞享義民神社の始まりです。明治31年神道護国多田教会を設立し、水野家より加助の木像等を寄贈された為、これを御神体として祀り、水野忠直公も合祀して御祭神は十三柱となりました。昭和35年には現在名に改称されました。詳しくは下記写真でどうぞ。
 多田加助さんとは、騒動当時の中萱村庄屋で、、農民たちが苛酷な年貢に苦しむのを見るに偲びず、農民たちとの話し合いの末に、身を挺して農民を救おうと立ち上がった勇敢で奇篤な指導者です。貞享の凶作にもかかわらず、家老らは年貢の増量を決定したので、その年貢の軽減を松本藩に訴えたことに端を発し、周辺農民約1万名が大挙して松本城下に繰り出す大騒動へと発展し、一旦はその願いが聞き入れられたかにみえたものの、藩というか、家老の(といわれています)策謀にすぎず、結局は加助やその家族など28名が処刑されるという悲しい結末を迎えます。松本藩主・水野忠直は江戸に参勤中の事でした。

神社入口 拝殿
本殿 二十三夜塔、道祖神
貞享義民顕彰慰霊の碑